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【Q】娘と喧嘩してしまいます

気持ちをおさえられずに、喧嘩してしまいます

海外に在住していて、心疾患の娘がいます。
娘はいたって元気なのですが、私の思い通りにならないと
私がすぐきれて大喧嘩になります。

改善しようと思うのですが、数週間たつと同じスパイラル
にはいってしまいます。

6年半付き合った彼がいました。
今年五月に同居を試みたのですがうまくいかず、
喧嘩ばかり。

4月には6年ぶりに一時帰国、5月には引越し、
7月には2週間旅行、10月には娘のカテーテル検査。

あまりに予定が多すぎたのでしょうか。
彼のことを理解することもできなくなり
毎日コントロールしてしまいました。

彼には18歳離れた母と、その元で暮らしている24の
彼の娘がいます。彼らは私たちに気を使ってくれていた
と思うのですが、夜帰ってくると呼び出されたり、
何かと手伝いに行くことがありました。
(そんなに頻繁にではありませんが)

娘の入院の前に、私が情緒不安定になり
そばにいてくれるよう頼んだのですが、
前日も彼の娘の車の高速道路走行の練習をすると、
2時間ほど家を空けました。

大喧嘩の当日は彼の母と話し合いの日だったのですが、
その前に、私の娘、彼とけんかになり、
話し合いには行かないといいました。
すると母があがりこんできて怒鳴りあいのけんかになりました。

いつも別れては後悔して元に戻るのですが、
また堂々巡りをします。自分の気持ちをコントロールしたい
のですがなかなかうまくいきません。

今回の別れは、私が家を飛び出したので、
元のような関係に戻ることはないと思います。
非常に残念ですが、、、、。

自分の娘との衝突、思い通りにいかないといらいらしてしまう
自分を何とかする方法はないでしょうか。
更年期が過ぎるのを待つしかないのでしょうか。

【40代 通訳 きぬび様】

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FROM 川畑のぶこ
A:
愛する娘が病気を抱えている。
母親であれば心配なのは当然でしょう。
その安全が確認できなければイライラすることもあるでしょう。

それらのイライラ、怒り、それは全て愛からきているのですよね。
病気があるにも関わらず、ここまでよくやってきている
まずは娘さんに宿る叡智と、きぬびさんご自身のこれまでの
献身的(物理的にも精神的にも)なケアを称えてあげてください。

さて、相手への心配、イライラ、怒り、これらは全て愛からくる、
では、愛しているからという理由であれば、何でも許されるのか?
というと、決してそうではないことは、きぬびさんご自身気づいて
いらっしゃることと思います。

それが相手にとって絶対良いはずだからと、相手が私の理想通りに
なることで自分が安心したい、これは利己的な愛。

自分の思い通りではないけれど、相手なりに必要なプロセスを経て
人生を切り開いて成長していく―決して年齢は関係なくー
そのことを見守る。これは利他的な愛。

どちらも本質的に私たちに備わっている愛の形ではありますが、
そのバランスが崩れると、人間関係は一気に崩れて行くと思います。

相手のことを蔑ろにして自分ばかりを満たそうとすれば
不調和をきたします。
逆に、自分のことを蔑ろにして、相手のことばかり満たそうとしても
やはり不調和を来します。

結果的に自分を満たすことも相手を満たすことも不可分ではありますが、
それを「どのよう」に行うかということは大切なポイントとなります。

健全な愛情関係は相手をコントロールする執着の上にではなく、
相手を自由にする、信頼の上になりたつということを覚えておくと
良いかもしれません。

信頼とは決して「相手が自分の思い通りになる」と信じることでは
ありません。たとえ、自分の理想通りではなくても、相手なりに
その時点でのベストを尽くして相手なりに人生を切り開いて行く。
私がそうであったように、また今もそうであるように。

たとえ相手の思い通りのかたちやタイミングではないかもしれない
けれど、そして、自分の理想通りの自分ではないかもしれないけれど、
自分なりにその時点でのベストをつくしてここまで一生懸命やってきた。
前進したり後退したりしながら…それを認め信じてあげること。

そしてこれからも今できるベストを尽くして前進していく。
必要なかたちやタイミングで。

これが信頼ベースの人間関係です。

まずきぬびさんご自身が、自分の人生に対して信頼を置いていること
は相手との健全な人間関係に置いて必要不可欠なことです。
自分が自分を信頼していると、相手を信頼しやすくなります。
相手を信頼していない人というのは、そもそも自分自身を信頼して
いないことが多いものです。

自分も相手も今、必要なプロセスにいると。
人間は失敗を免れないけれども、そこから学ぶと。

今は学びの意味が分からず、天に悪態つきたくなるかもしれないけれど、
それでも、ある時点でハッとそれに気づくことがくると。
今はしがみついていても、やがて「あのとき起きたことの意味」が
分かるときが訪れると。

そんなプロセスの中にいてくれた、自分からすれば悪役を担って
くれた相手に、感謝すらする日が訪れるかもしれないと。

そう信頼してみてください。

母なる宇宙は、そのような私(たち)のいびつなプロセスを、
気長に、あたたかに、見守ってくれていることも信頼してみてください。

きぬびさんも、娘さんも、彼氏も、私たちもみな、
人生の学徒なのですね。

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【Q】50代でも自分を好きに

いつも断捨離メルマガを拝見しております。
理屈では分かるのですが、なかなか。
自分の思いを手放したいのにどんよりしてしまいます。

今、一番重い気持ちになるのは、他人軸である私。
それなりに友達もいるし、明るいし、活動的なほうですが…
友達が多い人、思いやりのある人、自然と人が集まるような人、
自分軸の人を見るとそれだけですごく引け目を感じ、
憂鬱になります。

比べない、自分を好きになる、許すということは理解して
いるんですがそれがなかなかうまくいかない。

その理由が、自分と深く向きあって、自分の継母との関係
が大きな原因かなと思うようになりました。

母は我が強く、きつく私に当たり、他人と比べ、
愛情はほとんど感じませんでした。
母は、完璧に家事をこなし、洋裁もでき、センスもあり、
家もいつもすばらしく整っていました。

私が小学5年のときに我が家に来た母と、24歳で結婚するまで、
気を遣い、顔色を見ながら暮らし、私がこんなんだから好かれ
ないんだ、自分に落ち度があるんだ、と思って過ごしてきました。

父にはそんなことは言えずに、一人で自分が、もっとさっぱり
とした性格で、しっかりしてる人間になりますようにと
毎日お祈りしていました。

大人になるとそれなりに表面上はうまく付き合っていました。

父が亡くなるときに一緒に在宅介護で看取り、その時初めて
母は私を認めてくれました。
あんたのおかげで最後まで大変なこともあったけど、
介護できたと。。。

父が亡くなってしばらくすると、元の気丈な母に戻り、
80代でリューマチでも離れて一人で暮ししています。

父は亡くなったんだから、もう義理は果たしたから
もういいでしょう、と言われてまた落ち込んだのですが
それでも全部をそのまま受け入れようと思い、
私が今あるのは、お母さんのおかげだ、お母さんのしたいよう
にしてくれていいから、困ったときはいつでも言ってね。
たまにこうやって電話するけどいいかな。と伝えました。

それから電話口の母は楽しそうに話してくれるので、
この状態でいいと思っていましたが
私の今まで、なにかもやもやしているもの、自信がないことや、
必要以上に、人に気に入られないことを恐れること、
自分のせいにしてしまうこと、表面的に頑張って本心に
向きあわないことなど、母との関係が大きいのではないか
と思うようになりました。

小さいときの自分を抱きしめるとか、好きになるとか、
いろいろやってみてもすっきりしません。

こういうことも断捨離で克服できますか?

50代になっても、好きな自分になりたい、
こころを自由にしたいと思いメールしました。
よろしくお願いします。

【50代 女性 自由業 C.C様】

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【A】FROM 川畑のぶこ

人は愛に満たされ、愛に傷つくものですね。
子どもとしての私たちにとって、
母親の愛は生存に関わるものです。

自分はちゃんと愛されているか、愛に値する人間か、
その疑いを晴らす為に、私達は色々な試みをするのだと思います。
また、その確証が得られるまで苦しみは続くのだと思います。

C.Cさんは、あるがままの自分では母は私を認めてくれないし、
愛してくれなかったという思いに縛られてしまって苦しかった
(あるいは今も苦しい)というのが文章から伝わりました。

自分は母のように完璧でないし、しっかりもしていない、
母も私にきつくあたり、他人と比べる、またそもそも
血も繋がっていないなどと言う理由から、
「愛してくれているわけがない」というような思いが
生じたのかもしれませんね。

断捨離とは観念の入れ替えですが、C.Cさんにはぜひ
これらの考え方を入れ替える努力をしていただきたいと思います。

文章を読みながら私がイメージしたのは、C.Cさんと同様に、
あるいはC.Cさん以上に、お母さんもまた

「自分は母失格ではないか?」
「妻失格ではないか?」
「ちゃんと子どもを育てられているか?」
「遜色なく家庭を切り盛りできているか?」

と他者と自分を比較しながら必死になっている姿です。

比較にはご主人の前妻(C.Cさんの生みのお母様)
も含まれているのかもしれません。

お母さんもまた愛を確かめたかったし、自分の価値を疑いながら、
必死にOKな自分になろうと努力しているのではないでしょうか。
だから「全て完璧にやらねばいけない」と頑張っていたのでは
ないでしょうか。

完璧主義の人物というのは、ストレス下に陥ると、他人に対して
優しくなるのは難しいものです。これも、自分軸でなく、世間の
評価を気にする他人軸の傾向です。

そうであれば、お母様はC.Cさんを愛していなかったのではなく、
さまざまなプレッシャーから、健全に愛や優しさを表現するゆとりが
なかったのかもしれません。

本当は我が子に甘えたくても、自分を母として自ら選んだわけではない。
自分と夫との男女の関係で、行きがかり上、自分が母親になった娘に
「迷惑をかけてはいけない」とか「お荷物になってはいけない」
「甘えてはいけない」という思いの方が強いということが考えられます。

それは決してC.Cさんを愛していないからではなく、
お母さんなりの一生懸命な、そして不器用な、愛の表現だと思うのです。
実際は、「母は私が愛して欲しいように愛してくれなかったけれど、
母なりに愛している」のではないでしょうか。

そうであれば、その思いを大切にしながらお母さんと向き合って
みてください。面と向かって伝えることが難しければ、
思いを筆にしたためてみるのも良いかもしれません。

そう、もうすぐ母の日ですからね。

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