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レモンさん(30代・女性・看護師・岩手県)
のご相談にお答えします。

【Q】私は38歳、夫35歳、10歳長女、
5歳長男の4人家族です。

よくある話かと思いますが…
夫は家事や料理など、非協力的であり、

仕事以外全てを私に任せっぱなしで、
体力的に限界が来ていることに
悩んでおります。

洗濯、お皿洗い、掃除、食材の買い出し、
学校や保育園、習い事の準備・送迎や書き物、
連絡類も全て自分1人で背負っています。

実は問題点は持病が悪化したことで、
今までの家での家事と、仕事の両立がきついと
感じるようになったことが問題です。

私は最近、重症気管支喘息となり、
風邪などが悪化するたび仕事も病休となり、
自分で稼ぐ金額も、体力も
減ってきてしまいました。

2年前にお腹に難病も見つかり、疲れが出ると
そちらも悪化しやすい身体になってしまい、
本当なら仕事もしない方が良いのでは?
と思うような身体ですが、

働く事が生きがいなので、
身体はきついと感じますが、
自分の意思で看護師を続けております。

稼げる金額が減ったことで、
金銭的な話を夫へしようとすると、
「あなたが買いすぎてるから悪い。
無駄な買い物が多いんだ」と責められます。

ですが、
ほとんどみんなが食べている3食の食材や
子ども達が好むおやつやアイスであり、
特に浪費はしていないと感じております。

DVのような気も感じておりますが、
何か訴えるような気もしておりません。

子どもとは良く遊んでくれますが、
私1人でせかせか家で働いており、
病み上がりの疲れが酷い時はさすがに
助けて欲しいと思います。

夫が転勤族のため、実家の両親や兄妹は、
車で2時間かかる場所に住んでおり、
なかなか会えません。

夫との関係の悪さだけが問題なのですが、
私は今後どうやって生活したら良いのか、
本当にわからないため、教えて頂きたく、
メールを送らせて頂きました。

【A】レモンさん、本当によくここまで
一人で抱えてこられましたね。

ご相談文を読むだけで、
どれほど無理をしてご自分を後回しに
してきたかが胸に迫りました。

体が「もう限界だよ」と必死に伝えてきて
いる今こそ、助けを求めていい時です。

ご主人に伝えるときも、
「あなたがやらないから」ではなく、
まずは “私の体がもうもたない” という
事実から。

怒りや責めではなく、命と健康に関わること
として、静かに、丁寧に伝えてみてください。

そして、夫婦だけで
全部を背負う必要はありません。

医療・福祉・地域のサポートを頼ることも、
家族を守る大切な選択。

「助けて」と言えることは弱さではなく、
大事な力です。

具体的な伝え方や、今後の支援の広げ方については
ビデオでお話しします……

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アムさん(50代・女性・会社員・静岡県)
のご相談にお答えします。

【Q】こんにちは。
私は55歳の会社員です。

人の死に直面しても
悲しみの感情が湧かない自分に、
ずっと戸惑いを抱えてきました。

最初にそう感じたのは小学生の頃。

大好きだった叔母が病気で亡くなったとき、
姉と弟が泣きじゃくる横で、
私は「死んじゃったんだ」と
淡々と受け止めているだけでした。

でも大人も子どもも皆、
悲しそうに泣いているので、
自分だけ違うのはいけないことだと思い
悲しんでいる“ふり”をするのを覚えたのも
そのときです。

その後も祖父母や友人など
身近な人との別れを経験してきましたが、
心の底から泣いたり、悲しみに押しつぶされる
ような感情を持ったことは一度もありません。

私にとって「死」は、
生きているけれど長い間会えないだけ、、、
そんな感覚に近いのです。

また、人は死んだら肉体を脱ぎ、魂として
別の人生を生きるという輪廻転生の考え方が
自分の中でとてもしっくりきています。
そのせいもあるのかもしれません。

ただ一方で、大切な家族に
もしものことがあったらと想像すると、
胸が押しつぶされそうになります。

そのギャップに自分でも戸惑い、
時には「自分は冷たい人間なのでは」と
責めてしまうこともあります。

55歳という年齢になり、これから先は
これまで以上に人の死に直面する機会が
増えると考えると、不安が大きくなります。

そのとき、周囲が涙している中で、
自分だけが何も感じずに
立ち尽くしてしまうのではないか、、、
そんな自分をさらけ出すのが怖いです。

この感情をどう受け止め、
どう向き合えばいいのか分からず、
悶々としています。

同じような感覚を持つ人がいるのか、
また専門的な視点からのアドバイスも
いただけたら少しはラクになるかもしれない
と思い、ご相談させていただきました。

【A】アムさん、
ご相談ありがとうございます。

人の死を前に涙が出ない自分を
「冷たいのでは」と責めてしまう——
その優しさこそが、
すでに“感じている”証です。

悲しみの表現には涙以外にも、
静かな受容や祈りの形があります。

スピリチュアルな感性が豊かな人ほど、
涙ではなく「深い理解」として
悲しみを抱くこともあります。

感情の表現方法は人それぞれ。
脳やホルモンの働きによっても違うものです。

どうぞ「私はこれでいい」と
受け止めてください。

涙のしくみや心のしくみについて
ビデオでお話ししますので、
ぜひ参考になさってください。

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【Q】はじめまして。
50代の女性です。
実家の庭のことで悩んでいます。

実家には80代の母が
一人で暮らしています。
父は2年前に他界しました。

父は生前、庭をとても大切にしていて、
季節ごとに業者を呼び、
植栽や剪定などを欠かさない人でした。

母はその頃から庭に特別な関心はなく、
父が亡くなってからは
手入れがほとんどされていません。

私は今、実家から車で2時間ほど離れた
所に自分の家族と住んでいます。

日帰りで様子を見に行こうと思えば
行けますが、毎週というわけにもいかず、
季節によっては、行った時には
雑草が伸び放題になっているというのが
現実です。

実家の地域のシルバー人材センターに
依頼したこともありますが、
草取りをしても、しばらくすれば元通り。
いたちごっこです。

「もういっそ、庭をなくして
 コンクリートで固めてしまうのはどう?」
と母に提案したこともあります。

ですが母は、
「お父さんが大事にしていた庭だから…」
と乗り気ではありません。

たしかに父の思い出が詰まった場所
ではありますが、

今の母の気力・体力を考えると、
維持管理は容易ではなく、
かといって放置しておくのも気になります。

結局、私が行くたびに、できる範囲での
草取りや片づけをするのですが、
帰る頃にはぐったり。

母の「ありがとう。お父さんが喜ぶから」
という言葉を聞くたび、
どこかモヤモヤした気持ちになります。

「庭=父の思い出」として
母が手放せない気持ちも分かりますし、
「放っておけない」と
動いてしまう自分もいます。

草取りや剪定だけでも定期的に業者に頼む
という方法が現実的なのかもしれませんが、
それなりに費用がかかりますし、

母が元気なうちはそれで良くても、
将来的には子どもたちである私や兄弟に
管理が任されることになるわけで、、、

それならば、
母がさほど庭にこだわらないのであれば、
早めに手を打った方がいいのでは、
と思ってしまうのも正直なところです。

父の思い出を大切にしつつ、
今の暮らしに合った形で庭を手放す、
あるいは変えていくにはどう考えたり、
動いたりしたらよいでしょうか。

何かヒントをいただけたらうれしいです。

兄が一人いますが、
遠くに住んでいるうえに年中多忙のため、
この話はまだしていません。

【もみじ・50代・女性・パート・群馬県】

【A】ご相談くださりありがとうございます。

お父様が大切にされていたお庭、
それを守りたいお母様の気持ちと、
現実的な維持の大変さとの間で揺れる
もみじさんの複雑なお気持ちが
よく伝わってきます。

お母様にとって庭は、
単なる物理的な空間ではなく、
お父様とともに過ごした時間そのものを
象徴する、大切な思い出の場所になって
いることと思います。

お母様の「お父さんが喜ぶから」という
言葉には、お父様が大切にしてきたもの
を保存することで、いまもなお、
お父様とつながりを保ちたい願いが
込められているのではないでしょうか。

庭は絆の象徴なのかもしれませんね。

ただし、同時に
管理しきれない現実があり、それを
娘であるもみじさんが背負っている…

この構図は、象徴的な遺産を
次世代がどう受け継ぐかという
普遍的なテーマでもあると思います。

まず、実際に庭をどうするかの前に、
お母様にとって、庭にどのような思いが
込められているのかを、
優しく丁寧に対話しながら聴く時間を
持ってみてください。

たとえば、
お父さんが大切にしていた庭の、
どんなところが一番好きか、

または、もしお父さんが今ここにいたら、
どんな庭にしてほしいと思うかなど、
尋ねてみるのも良いかもしれません。

お母様が形よりも気持ちを守りたいのか、
あるいは風景を保ちたいのかによって、
対応の仕方も変わってきます。

今、もみじさんの選択肢は、
庭をこれまでどおり維持するのか、
それともコンクリート化して庭をなくすか
という全か無かの二者択一状態かと
思います。

ここで、もうひとつオプションを
つくってみてください。

それは、
庭を縮小するというやり方です。

お父様が中でも大切にしていた木や
お母様が気に入っている草花など、
象徴的な“一軍”の植物を絞り込んで
維持する方法です。

たとえば、
お気に入りのツツジや松を数本残し、
その周囲を砂利にしたり、季節の草花は
花壇やプランターに移して楽しむことも
できるのではないでしょうか。

お父様の思い出の庭のエッセンスを残す
ことで、お母様も思い出を楽しむことは
できるでしょう。

メンテナンスも、庭の規模を縮小したこと
でお母様ご本人が楽しめるようになるかも
しれませんし、

もみじさんや業者がサポートするにしても
負担が軽減され楽にサポートできるように
なるでしょう。

外注との併用もよいですし、たとえば、
定期的な草刈りを人材センターに、
年2回の剪定だけ業者にお願いするなどの
方法もよいのではないでしょうか。

お父様の思い出が大切であれば、
庭以外にも「お父さんの思い出コーナー」
をお母様が触れられるところに
設置するのも良いかもしれません。

季節ごとの庭の写真や石や樹を
少しだけ記念に残すことで、
お父様の写真を飾ることで、
お父様の息遣いを感じられるでしょう。

庭を残さなくても
思いを残すことはできます。

お父様へのリスペクトを形にできるので、
お母様も納得しやすく、もみじさんの
モヤモヤも軽くなるのではないでしょうか。

また、遠方にお住まいのお兄さんが
サポートをするのは
手軽ではないかもしれませんが、
状態を共有しておくことは大切です。

お兄さんに、お母様の今の様子や
庭の現状、そしてもみじさんの負担感を
率直に伝え、

お母様の気持ちを尊重しつつ、
現実的な方向を探りたいという意図を
共有してみてはいかがでしょうか。

お兄さんはすぐに物理的なサポートは
できないかもしれませんが、
年に1度でも帰省した際に
庭の管理がタスクに入るかもしれません。

また、もみじさんの気持ちを彼なりに
受け止め、互いにアイデアを出し合う
などすることで、もみじさんも
「一人でがんばらなくてよい」と
プレッシャーが緩和されるかもしれません。

このように、子どもたちが親のことに
思いやりや優しさをもって耳を傾け、
提案したり行動することによって、
お母様の心も自然に次の段階へと整う
可能性もあります。

また、もみじさんも、ご自身の思いを
伝えて受け止めてもらえたことによって、
より能動的にお父様の思い出を
大切にする気持ちが生じてくるかも
しれません。

ぜひ、ご自身の気持ちを抑圧することなく、
ご家族と思いをシェアしてください。

そして、積極的に助けを求めてください。

ー川畑のぶこ

       
        
ーーー

 
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サムネ_20251106

おちゃさん(50代・女性・主婦・北海道)
のご相談にお答えします。

【Q】離れた所で一人暮らしをしている
実母との関係に悩んでいます。

父は私が高校生の時に亡くなり、
父が亡くなった年齢と同じ年齢の時に、
兄がアルコール依存からの内臓疾患で
亡くなっています。

小さい頃は、私が喘息で病院通いを
していたからお金がなかった、
親族に借りるほど苦しかったと
聞かされていましたが、

年代が変わると、その頃父が転職して
給料を入れてくれないからなど、
「お金がない」理由も変わってきました。

父の外ヅラの良さや営業職のせいも
あって、外での飲み代でお金がなく、
父の死後は借金も発覚した苦労が
あったようで、そのことを、
去年86歳で圧迫骨折で入院した後から
毎回会うたびに聞かされます。

生まれながらに
身体が丈夫でなかった母は、
なにくそと気丈に生きてきて、
私への要求もきついです。

「娘は黙って聞いているものだ。
 家族しか正直に嫌なことを
 言ってもらえないのだから」と、
会うたびにメンタルを傷つけられます。

今は、週3回ヘルパーを頼み、
長年住んでいる場所で
一人暮らしをしています。

お金のことも、
今は不自由はないようです。

自分の考え方が一番と
揺るがない人です。

私も知的障害の我が子にイライラ
していたこともあり、
先日母のところから帰宅した後には、
「私が生まれなければ良かったかな」と、
自らの環境に涙が出てきました。

健全ではない思考だとわかっています。
 
母も年老いたのと、
一人しかいない子どもの私なので、
放置しっぱなしも気がかりで、
今の環境に心苦しくなります。

義理の母は何でも
「ありがとう」と言う人なので、
私としては、実の母に会うほうが、
何を言われるか怖いです。

会った時も、後半には
たくさんの愚痴をずっと聞かされて、
「もう、聞きたくない!」と
逃げるように帰ってきます。

私もコミュニケーションは
良い方ではないけれど、昔から、
母と居ると食べる物も私の意思は
すんなりは尊重されないので、
息苦しくなり、無口になります。

今は金銭的には問題はなく、
身体的に思うようにならない問題
ばかりの母です。

なんで私はこんな環境なのだろう
と、悲しくなってきます。

【A】おちゃさん、優しさゆえに
毎回心が削られてしまうのは
本当につらいですね。

まず「いい娘=全部応じる」
ではありません。

相手を変えるのは難しいからこそ、
自分側の調整をすることが大切です。

・会う時間を決める
・NOと言う
・話題を選ぶ
・一旦離れて呼吸を整える

こうした境界線が、被害者ではなく
“主体”に戻す力になります。

「娘である前に、私」。

自分の限界とニーズを尊重することは、
関係を壊すのではなく整えることに
つながるということをぜひ知ってください。

具体的な距離の取り方と関わり方は、
ビデオでお話しします……

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【Q】80代後半の母と実家で
約30年ぶりに同居を始めて、
2年半ほどが経ちます。

もともとは、
普通に仲の良い親子関係でした。

母は、身の回りのことや
慣れた料理はできるので助かりますが、
物を溜め込んでキッチンやダイニング、
そしてリビングが狭く乱雑になったり、

母が買い込んで持て余した食材で
冷蔵庫が満杯状態になることに、
私は毎日イライラしています。

共に暮らす私の夫や娘の物を収納したくて
棚や納戸を整理しようとすると、
親が処分を先送りにした物が
後から後から出てきて、
怒りが込み上げてきます。

つい母に嫌味を言ったり、
「自分が手に入れたものは、
自分で責任を持って片付けて」と
強く言ってしまいます。

そして後悔します。
片付け自体がストレスになります。

年齢なりに身体が動きづらいのも
当然ですが、
腰が痛いと漏らすのを聞いても、
最近はあまり親身になれません。

同居前のように気軽なお喋りをする気に
なれず、素っ気ない態度になっています。

休日も家にいるのが気詰まりで、
私が外出しています。

一緒に暮らせるのはあと数年と思いつつ、
穏やかな気持ちや笑顔で過ごせない自分
が情けなく、悲しいです。

何かアドバイスいただけると
とてもありがたいです。

【えだまめ・50代・女性・団体職員・東京都】

【A】ご相談くださりありがとうございます。

えだまめさんのお悩みは、
お母さんとご自身とご家族の暮らしを
大切にしたいからこそ、
きちんと向き合おうとしているからこそ
のお悩みですね。

まず、えだまめさんのご相談を伺って
感じたことは、

お母さんへの苛立ちは、もしかしたら、
えだまめさんが「母の家に戻ってきた」
のでどこかに遠慮があって、
素直に思いを伝えられていないことに
あるのでは?と思いました。

たとえ同居の経済的・介護的理由が
あっても、無意識のうちに
「自分たちはお客さん」
「母の領域に入り込んでいる」という
遠慮や抑圧がないでしょうか?

つまり、自分の居場所なのに
自分の家でない感覚が
ストレスを生んでいないでしょうか?

その結果、言いたいことを飲み込み、
溜め込み、イライラという形で
噴き出している可能性があるのでは
と感じました。

まず、お母さまに「空間の主導権」を
譲ってもらう提案をすることを
お勧めします。

その際、お母さんへの思いやりが伝わる
伝え方を心がけます。

たとえば、

「お母さん、この家の空間をもう少し
 私たち3人も使いやすく整えたいと
 思っているんだけど、私たちに
 譲ってもらってもいいかな?

 お母さんが使いたい場所や必要な場所
 はもちろん、お母さんが使って、
 私たち3人が使って良い場所は自由に
 できたらとても助かるんだけど。」

と、依頼をしてみます。

そのことで、お母さんは自分の領域を
勝手に支配されるのではなく、
ご自身が優先的な選択権を持っている
という安心感を得られると思います。

もし許可が出たなら、
えだまめさん自身も遠慮から解放され、
行動に主体性を取り戻せるでしょう。

同時に、お母さんのモノの整理の手伝い
をオファーしてみてください。

85歳で腰痛があり、特にモノを溜め込む
傾向のある方に「自分で考えて捨てて」
と言っても、現実的には難しいです。

体力のみならず、
脳の処理スピードや執着の構造が、
若いときとはまったく違うからです。

どう手をつけていいか
わからないでしょうし、
助けてほしいけど、恥ずかしかったり
不安だったりするかもしれません。

ですので、えだまめさんから率先して
お母さんが安全で動きやすいように
整理のお手伝いをしたいことを伝え、

「お母さんの好きなものや
 大事なものは残して、
 使わないものだけ一緒に見直そう」
と提案してみてください。

決して怒りからではなく、
思いやりからのアプローチにすることで
空気が和らぎますし、

お母さんも自分が否定されているわけ
ではなく、大切にされていることを
感じられることでしょう。

まずは、
「ここまではお母さんゾーン、
 ここからは私たちのゾーン」
とスペースの区切り方を一緒に決めて、
お互いの安心と自由を確保します。

次に、お母さんのモノを一旦テーブルなど
平面に出して棚卸しをします

これだけあるんだと、量をお母さん自身が
しっかりと視覚で認識することが第一歩です。

そして、一緒に選びます。

「これはまだ使う?」
「これは〇〇さんにあげてもいい?」など、
えだまめさんが決めるというより
相談の姿勢で進めてください。

「捨てる」という言葉に抵抗があるかも
しれないので、不要なものは「卒業する」
と伝えるのも効果的かもしれません。

その際、「今までありがとうね」と
感謝を声に出して処分するのも感情の整理
を促す儀式的プロセスになります。

「片づけ=関係のリセット」でもあります。

お母さんのモノとの関係が
リセットされるのと同時に、
えだまめさんとお母さんの関係も、
思いやりあるモノの片づけ方によって、
良好な関係に整えることができるでしょう。

親子の間に張り詰めた空気が生まれたときは、
モノの整理を通じて関係を整理するチャンス
と捉えてみてください。

「これ、若い頃どうやって使ってたの?」

という声かけから、
お母さんの知らない素敵な過去や、
お母さんが心の中で大切にしているものが
見えてくるかもしれません。

そうであれば、片づけを通して
優しいやり取りを再開する
きっかけになるかもしれません。

関係修復は
空間整理と同時進行できることを
ぜひ覚えておいてください。

ー川畑のぶこ

       
        
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ごきげんちゃんさん
(60代・女性・カフェ経営・岐阜県)
のご相談にお答えします。

【Q】いつもいつも、様々な悩みへの
川畑さんの回答に感動しています。

そんな中、私の悩みなど
ちっぽけだと思いますが、
このところカラダがとても不調なので
聞いて頂きたくてご相談します。

私は、特に夫と、同居している長女に対して、
「もっと優しい言葉、態度はできないの!?」
と思ってしまいます。

長女は結婚しており
姓は違いますが同居していて、
3人の子供もいます。

私は、週4日カフェの仕事をしながら
7人家族の夕食の準備、
孫の保育園の送り迎え、
孫が病気の時は面倒もみています。

しかしながら、長女から
ありがとうとか、いつもごめんね、
とかの言葉はほとんどありません。

数年前に亡くなりましたが、
認知症の義母の面倒も、
夫は転勤中だったので
全て私がしていました。

多分そのストレスで、
10年前にがんにもなりました。

でも、その手術の途中で夫は、
仕事上の付き合いではありますが、
車で2時間以上離れた転勤先に
飲み会に行ってしまいました。

そういったことが私には理解できず、
私ならこうするのに。
私ならこう言うのに。
といった思いが自分を支配します。

相手の態度、言葉そのものもさることながら、
それよりも、自分のそういった
対価を求めて、共感を求めて、

それが満たされなくて、
自分のカラダを苦しめている状況や
被害者意識がたまらなくいやです。

どうしたら、そういった感情を
手放せるのでしょうか?

どうしたら、そんなこと気にもとめずに、
私は私、と軽やかに楽しく生きていける
のでしょうか?

ただ、感謝が足りない(と、私には見える)
長女や夫に対して、そういう態度や
言葉の投げかけをしていたら
本人が幸せにならないのでは?と
これは本気で心配もします。

人として成長して欲しいし、
人の痛みがわかる人であって欲しい
と願います。

それも境界線を引くべきことなの
でしょうか?

ちなみに、私は30年以上前に、
自己中心的でわがままな義母との同居で
パニック障害になり、今も時々、
体調が悪くなることがあります。

【A】ごきげんちゃん、とても優しくて
思いやりがあって、ご家族に誠実に
向き合っていらっしゃるのですね。

ご自身の体調が悪くなるほど
お義母さんにも尽くしてきたとのこと、
もうこれ以上無理しなくていいよって
体が言ってくれているのだと思います。

家族にこんなにも尽くしているのに
感謝されない……
これほど辛いことはないですよね。

でも、それはごきげんちゃんに
大切な家族、愛する対象があるからこそ、
感謝してほしい、フィードバックが欲しい
という思いも生まれてくるわけです。

どうぞそこは素直に認め、
それほどまでに愛する対象があるという
のは恵まれていることだと
捉えてみてください。

私たちは皆、認められたい、感謝されたい
と願う存在ですので、ごきげんちゃんが
対価や共感を求めるのも自然なこと。

ただ、ご家族の反応を
すぐに変えることは難しいでしょう。

ですから、そこは、ごきげんちゃんが
どこまでご家族へ尽くすのか、
どこから先はやらないのかを、
ご自分として決めていく必要があります。

続きは、ビデオでお話しします……

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【Q】「何者か」になる必要があるのか
わかりません。

夫がたびたび学生の甥っ子たちについて
「まだ何者にもなってないから
 兄貴もたいへんだ」
というようなことを言います。

それを聞く度に
「医者です」「◯◯会社の社員です」
「◯◯です」と言えるのがそんなに
必要なのか、私はモヤモヤします。

◯◯になって社会的に
自分の属性を説明できるほうが
何かと都合は良いですけれど。

私は長いこと
「◯◯省事務官」として生きてきましたが、
職業に関係ない「自分は◯◯だ」と
言えるような芯はありません。

生活のために漠然と働いてきて、
特に昇進への意欲や仕事に関する目標
などもありません。

他の同期と自分の扱いの違いや
能力の違いを認識するたびに、

職場から大した期待も役割も
与えられていない自分の立ち位置を
認識し、若い頃はあったやる気は
擦り減ってなくなりました。

既婚ですが子なしで、
プライベートの役割の変化もありません。

世間では、目標を持とう、
幾つになってもチャレンジしよう、
などと言います。

職場でも人事評価の指針の一つとして
目標を立てることが必須になっています。

無駄な規則や事務処理は増える一方で、
減らす方向にはならない組織には
何も期待してないので、
毎回目標を立てるのに苦労しています。

目標を持ちチャレンジをして
「何者か」になる必要があるのでしょうか。

思春期の頃から「自分は何者か」という
問いは自分の中にありますが、
拘束事項や無駄が多い今の仕事を辞めて

「自分のペースで、自分にとっては
 幸福を感じる日常の些細なことを
 大切にして日々を送るただの人」

になりたいと思っているのですが、
それでだけではダメなのでしょうか。

「特に何者かではない自分」では
ダメなのでしょうか。

【かえで・40代・女性・
     国家公務員・神奈川県】

【A】ご相談ありがとうございます。

かえでさんの葛藤がよく伝わってきます。

「何者かにならなければならない」
というプレッシャーについて、社会では、
職業や役職といった外側のラベルで
「自分とは何か」を語ることが多いかと
思います。

組織の中に長く身を置いてきた人に
とってはなおさら、評価・目標・責任
などのシステムの中で生きることは
日常的でしょう。

きっとご主人もそのような環境で、
あるいは、親や周囲の期待に応え
認められることで、ご自身の
アイデンティティを確立しようと必死に
ここまで来られたのかもしれませんね。

それを手放したとき、
自分にはいったい何が残るのだろう?
という問いがふと湧いてくることも、
自然なことではないでしょうか。

何者かにならなくてはいけないのか、
という問いに関しては、
「何者か」には2種類あると考えてみると
モヤモヤが整理されるかもしれません。

まずひとつめに、社会的な「何者か」、
すなわち、外側のアイデンティティが
あります。

たとえば、自分は公務員であるとか、
母親であるとか、
◯◯会社の社員であるとか、
医師や管理職であるなど、

他者から見て分かりやすく、
社会に説明できる自分です。

このようなアイデンティティは
便利な反面、それに縛られ、評価され、
比べられてしまいがちな世界です。

ふたつめに、存在としての「何者か」、
すなわち、内側のアイデンティティが
あります。

こちらはたとえば、
丁寧さを大切にする人、静けさを愛する人、
誠実な人、誰かの小さな支えになる人等々、

「私は◯◯省の人間です」ではなく、
「私はこういう心で世界に触れている
 人間です」という芯の部分。

声高に語る必要はなく、肩書がなくても
そこに宿る静かな核のようなものです。

かえでさんはおそらく
前者(社会的な何者か)ではなく、
後者のことを求めているのだと思います。

かえでさんは、「特に何者でもない私」
とおっしゃいますが、
本当に「何者でもない」のでしょうか?

いいえ、そうではありません。

むしろ、「ただ日常を丁寧に生きたい」
「自分のペースで、
 静かに幸せを味わいたい」
という願いそのものが、

すでに「生き方の選択」であり、
立派な「あり方」です。

社会は目標や成長やチャレンジを
重んじるかもしれませんが、
足りないものを付け加える生き方
だけが人生ではありません。

静かに、満ちるように
「今あるものを味わって生きる」
ことも、立派な人生の形です。

それは怠惰ではなく、
成熟の表れでもあります。

今のままではダメということはなく、
むしろ、そう在りたいと
気づけたこと自体が、
大きな一歩ではないでしょうか。

ただ1つだけ
大切にしていただきたいのは、

「逃げとしての何者でもなさ」ではなく、
「選んだ上での何者でもなさ」である
ことです。

かえでさんの文章には、
後者の真摯さが感じられます。

どう生きればよいのか?
ということに関しては、

少し心を軽くするためには、
「何者かになる」よりも、
「誰として在るか」を育てても良い。

「目標」ではなく
「大切にしたい感覚」を持つことでもいい。

「肩書」ではなく、
「心の姿勢」を生きても良い。

とご自身に許可を与えることです。

そのうえで、

私は丁寧に暮らす人でありたい。
私は小さな誠実を積む人でいたい。
私は誰とも競わず、
損なわれない静けさを大切にしたい。

と日々確認していくのも良いです。

このことで、
かえでさんの人生の「軸」が
ブレなくなってくることと思います。

「何者かになる必要がありますか?」
という問いの奥には、

「このままの私で、
 生きていていいですか?」という
切実な祈りのような声があるように
思います。

その問いへの答えは…

「はい。このままでも、
生きていていいです。」

です。

名乗れる肩書きがなくても、
何者でもないのではなく、

私として生きている人、という、
最も正直な何者かであることを
覚えておいてください。

ー川畑のぶこ

       
        
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サムネ_20251102

どんぐりさん(60代・女性・会社員・福岡県)
のご相談にお答えします。

【Q】60代女性です。
20代からの長い付き合いの友人がいます。

若い頃はお互いの仕事や子育ての
愚痴を言い合い、旅行やお酒を楽しみ、
なんでも話せる大切な存在でした。

性格も似ていて、
肩の力を抜いて付き合える関係でした。

けれど、ここ数年、彼女との付き合いを
重たく感じるようになってしまいました。

自分自身、この数年で精神的な学びを深め、
物事の捉え方が大きく変わりました。
良くも悪くも“悟ってしまった”部分があり、
以前なら気にならなかった彼女の言動が
幼稚に見えてしまうことがあります。

そんなふうに感じる自分にショックを受け、
「私、冷たい人間になったのかな」と
落ち込むこともあります。

誘われても気が進まなかったり、
話がかみ合わなくてモヤモヤしたり、
会ったあとにぐったりしてしまうことも
増えました。

それでも長い付き合いがある分、
「距離を置く=裏切る」ような気がして
強い罪悪感があります。

この年齢になって、
自分の時間も大切にしたい気持ちと
これまで築いてきた人間関係を手放すこと
への迷いの間で揺れています。

私はただわがままになってしまったのか、
それとも自然な心の変化なのか、
自分でもわからなくなっています。

このようなとき、どう向き合うのがいいのか、
実際に彼女に会った時
どんなふうに接したらいいのか、
アドバイスをいただきたいです。

【A】どんぐりさん、
とても誠実にご友人と向き合う、
優しい心をお持ちの方なのですね。

昔は一緒にいて
心地よかったし、楽しかったし、
リラックスできた関係だったけれど、
今はそうでなくなってしまった。

なんだか窮屈な感じがしたり、
エネルギーを消耗してしまうという
ことは、誰にでも起こることです。

私たちは常に変化していますから、
関係性というのも常にアップデート
されていきます。

でも、このアップデートのスピードや
頻度は人によって違うので、
ちょっとずつズレが生じてしまうという
ことが起こるわけですね。

どんぐりさんご自身が
精神的に成熟していっている過程であり、
心のステージングが変わってきている証
でもあるので、
罪悪感を抱く必要はありません。

相手との距離感をちょっと調整してみる
ことで、どんぐりさんのお悩みは解消
していくことでしょう。

続きは、ビデオでお話しします……

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