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【Q】夫ががんになりました

心の持ち方について質問です。

私は小さな事でくよくよするタイプです。
そして全ての原因は自分ができが悪いから
と思って生きてきました。

こんな私でも2度の結婚を経験し、
現在娘2人の母親で去年孫まで授かりました。
(上の娘は前の夫との子)

現在の夫とは20年連れ添ってます。
20年もの間、子育てや姑問題、
夫婦の問題に悩みはつきませんでした。

本当に毎日いっぱいいっぱいで楽しむ事も知らず
自分の気持ちを何処に持って行けばいいか
わかりませんでした。

そんな私の環境が変わりはじめたのは
断捨離を実践しはじめてからです。
(本当の意味もわからず、
何とか今の状況を変えたくて捨てまくりました)

一番驚いたのが、
元気な姑が娘の所へ勝手に出て行った事です。

主人は男1人で長い間母親と2人で暮らしており、
嫁姑のトラブルがあって別居を頼んでも
それだけは無理と聞き入れてくれなかったのに…。
私の中で絶対ありえない事だったんです。

前置きが長くなりましたが、
最初にお伝えした心の持ち方を教え頂きたいのは
2つ目の大きな出来事です。

それは夫に癌が見つかり、すでに手の施しようがない
と言う現実を突き付けられています。

余命数週間、後は本人のやりたい事をやらせて
あげて下さいと言われてます。
そう言われた時も私は自分をせめました。

もっとこうしてあげてたらとか
気遣ってあげてたらとか後悔ばかりです。

ずっと主人についててあげたいと思う反面、
何で私ばかりと言う気持ちが湧いてきます。

実際問題、家で泣いてばかり居られず仕事に行きます。

周りは主人の事を気にかけて下さり
私によく見てあげて支えてあげてといいます。
つらいのは主人だからと。

私だって辛い。でも、病気じゃないねんから
辛抱しないといけないと頭ではわかっていても
心がザラザワします。

自分の気持ちは自分で建て直さないといけないと
カラ元気出すのも疲れてしまいました。

病気の夫をかかえる妻の心の持ち方を教えてください。
こうしている間にも夫は死に近づいています。

どうか教えてください
宜しくお願いします。

【くぅちゃんママ様 40代女性】

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【A】FROM 川畑のぶこ

一難去ってまた一難
まこと、私たちの人生には絶え間なく
課題が押し寄せてきますね。

くぅちゃんママさんも、これまでにたくさんの課題を
乗り越え、器を広げていらっしゃることが伺えます。

断捨離をされて、嫁姑問題がひと段落したかと思いきや、
ご主人の病気と余命宣告。あらたな大きな課題と
向かい合っていらっしゃるのですね。

大切な家族の重い病気や死と向かい合うときに、
どのような心持ちで接すればよいかと言うことに
関しては、おそらく周囲の人々は
ご主人を何より優先してと言うことでしょう。

もちろん、目の前に死を控え、物理的にも精神的にも
周囲からのサポートを必要とする相手に対しては、
自分の感情や気持ちはいったん横においておいて、
ケアに専念する必要がある状況も多々発生することと
思います。

ただし、手足は動いていても、心の中では
「自分も患者と一緒なのだ」ということを覚えておいて、
自分自身へのいたわりの気持ちを大切にしてあげてください。

患者の家族は「第2の患者」と言われます。

自分だって、辛い。
それは当然だ。
悲しんでいいし、落ち込んでよい。

周囲はどうであれ、自分だけは、素直な自分を受け入れ、
慈しんであげてください。

それをシェアできる人が周囲にいるのなら、
どんどんそうしてください。

患者さんにサポーターが必要なように、
サポーターにもサポーターは必要なのです。

苦しい気持ちを素直に認めたり、相手に受け取って
もらったりすると、逆に、心の負荷が軽くなり、
本来するべきことに淡々と向かい合うエネルギーも
出てくることも多いのです。

「しっかりしなきゃ」と苦しみや悲しみに抵抗をしていると、
結局その苦しみが続いてしまうことも少なくありません。
ご自身の中の苦しみを認め、優しく包み込んであげてください。

それと同時に、死生観についても少し振り返ってみることを
おすすめします。

くうちゃんママさんは、死に対してどのような信念を
お持ちでしょうか?

仏教では、人間をもっとも苦しめるものが執着であり、
私たちが最も執着するのは、モノでも、健康でも命でもなく、
「考え方」だと言われています。

実際に残りのいのちが数週間なのか数年なのか、
はたまた数十年なのかは誰にもわかりません。

ところが、いずれ私たちの全てに、平等に死は訪れます。

その死に対して、どのような考え方を持っているかは、
私たちの日々の質や、人生の質、そして大切な人との
関わり合いに大きな影響を与えます。

死んだら全ての終わりなのか、それとも私たちの存在の
本質は死後もまた違ったかたちで存続し、愛する者たちと
関わりつづけるのか…

死とは苦しみとともに闇に葬られることなのか、
それとも安らぎとともに光の中に導かれることなのか。

死とは人々から忘れ去られることなのか、
それとも人々の心の中に残ることなのか。

実際には死んでみないことには分からないかもしれませんが、
私たちは物証できないことに関してはなおさら、
信じたいことを信じる理由があり、その権利もあります。

無論、どんなに健全な死生観を育んでいても、
死の悲しみや寂しさを完全に取り除くことはできないでしょうし、
そもそもその必要も無いでしょう。

それでも、健全な死生観を育むことによって、
私たちはよりしなやかに困難を乗り越える勇気と希望を
持つことができます。

ある患者さんが死の床でこのような言葉を残しました。
「先生、私の生命の芽は大きくならないのですが、
希望の芽はどんどん大きくなるのです」と。
そして「死後もその芽は成長するのがわかるのです。」と。

私たちはどのような状況下においても
希望を持つことが可能なのです。

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【Q】腐れ縁の友人との関係に悩んでいます

友人についての相談です。

「ずっと腐れ縁だね。」と
学生の頃から付き合ってきた友人がいます。
就職先は違っても、頻繁に一緒に遠出したり食事に
行ったりして過ごしていました。

ただ、私の結婚が決まった頃から友人の態度が
少しずつ変化してきました。
結婚することを伝えたときも、
「ずっと一緒だと思っていたのに…」と言われただけでした。

それからすぐに主人の仕事の都合で地元を離れ、
年に数回、帰省する度に連絡をして食事に行ったり、
近場にドライブしたりするようなお付き合いが
長い間続きました。

友人は仕事上難しい立場に立たされたり、
人間関係(職場や親子)でも悩みがあったりしたようで、
会う度にそういった話(相談というより愚痴)を
私が聞くだけの関係になっていました。

私もいろいろな悩みがあったのですが、
自分の話ができない雰囲気を感じ、できませんでした。

次第に友人の言葉の中に、専業主婦をしている自分に
対する批判めいた感情を感じるようになったり、
学生時代の友人と集まった時にも私を批判することを
言ったりして、正直距離を置いた方がいいのではないか
と思い始めました。

その後、私が地元に戻ると友人はそういう態度にも
かかわらず、頻繁に会って欲しいと頼んできました。

ですが、約束をしても直前に別の用事が入ってキャンセル
ということが続き、私としてはもう友人関係を辞めよう
と思いました。

その後、お誘いのメールが何度かあったのですが、
忙しいからという理由でお断りしていたところ、
もう連絡も来なくなったのですが、
友人を突き放した自分は冷たい人間なのかとも思って
時折責めてしまいます。

ただ、もう会いたくないというのが正直な自分の気持ちです。
自分の気持ちが揺れて困っています。
どのように折り合いをつけたらいいでしょうか?

【40代 にゃん様】

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【A】FROM 川畑のぶこ

人生の節々には大きな人事異動が生じることがありますね。
それは人生の変化の度合いにも依存すると思います。

人生におけるより大きな変化というのは、
人間関係にも大きな変化をもたらすことでしょう。

にゃんさんのように結婚がそれである人もいれば、
引越や転職や病気、また離婚などがきっかけになる人も
いると思います。

このような時期は、人間関係の取捨選択の時とも言える
でしょう。

友というのは近似性によって成り立つことも大きいので、
にゃんさんのご友人も、今までは社会的にも年齢的にも
近い立場にいたにゃんさんが離れて行くことが
とても寂しく不安だったのでしょうね。

アリストテレスは、
「不幸が訪れた時こそ、真の友が誰であるかが明らかになる」
と言っています。

辛い状況を支えてくれると思っていた人が実際はそうで
なかったり、逆に思いも寄らない人が強い支えになって
くれたりと、人間関係の長さや合う頻度に関係なく
その深さや質が明らかにされます。

その関係が利己心に依存して成り立っているのか、
それとも思いやりから成り立っているのかが明らかになる
ということですね。

これは逆もしかりで、相手に幸福が訪れた時に、それを
自分のことのように心から祝福できるのか、それとも
自分に不都合なので妬んだり嫉んだりするのかは、
相手が自分にとって真の友であるか否かを明らかに
するのでしょう。

もちろん、これは時間とともに変化することでもあります。
昔は大切な存在であったし、友人なしでは乗り来られ
なかったことも多くあるでしょう。

そのことには感謝して大切な時間であったことを
素直に受け入れれば良いと思います。

ところが、世の中は無常です。

私たちの心も体も環境も人間関係も、常に代謝を繰り返し
変化しつづけます。時間の経過とともにお気に入りだった
服が色褪せることがあるように、昔は色濃かった友情が
褪せてきたのであれば、それを素直に受け入れることです。

無理に繋ぎとめる必要は無いでしょうし、互いのためにも
なりません。互いの人生を輝かせるのではなく、
足を引っ張りあって損なってしまう人間関係は
潔く手放す勇気も大切になってきます。

そのことによって関係性が代謝し、ひと回りして
ーたとえばにゃんさんのご友人も結婚するなどしてー
また未来に戻ってくることもあるでしょう。
そうであればそれは喜ばしいことです。

ただし、そのことに期待する必要もなく、それを目指す
必要もありません。

友は何にも優る人生の宝です。
限られた人生にどんな友を持つのか、
じっくり振り返る、良い機会が与えられたのでしょうね。

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【Q】介護をしたくありません

両親、特に母親が好きになれず、今後もし、介護が
必要になっても正直面倒みたくありません。
心の持ちようを教えて下さい。

既婚、子供無しの40代の公務員です。
私は一人っ子だったせいもあり、子供の頃は親の干渉
が強く、何かにつけ危ないからあれやっちゃダメ、
お金がかかるからこれもダメと、やることなすこと
ケチつけられ、厳しく育てられました。

そのせいで、小さい頃は何の楽しい思い出もなく、
無気力、無感動な人間になりました。

本当は大学に行きたかったのに短大にしとけと言われ、
その後の就職も親の勧め通り公務員になりましたが、
ちっとも楽しくありませんでした。

30代後半の時に東京に転勤になり、親からも離れられて、
こちらで結婚もしやっと自由を手に入れられた気分です。

世の中、短大も行けない人もいて、行かせて貰っただけ
でもありがたいと思わなきゃいけないのかもしれませんし、
ちゃんとした仕事につけていいじゃないと人から言われる
事も多いですが、正直幸福感は全く無かったです。

最近になって、転職しようと資格取得の為に勉強したりと、
やっと少し充実感が持てるようになってきたところです。

でも気になるのは今後の両親とのかかわり方です。
冒頭のように思うのは薄情でしょうか?

【40代 ケリー様】

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【A】FROM 川畑のぶこ

辛い子ども時代だったのですね。
親の過干渉や価値観の押し付けで、自分の本当にしたい
ことが出来なかった。そのことで親に恨みの念を持っており、
その感情を解消できないままでいる。

もしそのままで、無理に親の介護をしたなら、親子関係は
悪化するばかりで健全な状態をもたらすことはないでしょうね。
福祉施設に委ねるというのもオプションとなるかもしれません。

ただし、現時点では親の介護に関しては白黒はっきりさせる
ことはせず、いったん横に置いておいてみてください。

今、ぜひケリーさんに集中していただきたいのは、
親によって満たすことができなかった大切な己のニーズを、
親から解放され、大人になった今、自分自身が充分に
満たしてあげるということです。

親のニーズより、自分のニーズに集中してみる時期
というふうにとらえてみてください。

それは、自分がしたい仕事をしたり、過去にできなかった
勉強を今から始めるということでもあるでしょう。

転職や資格取得に向けて勉強されるのはとても良いことだ
と思いますし、恐らくそのような動機で励まれて
いらっしゃることと思います。

ただし、気をつけていただきたいのは資格などは
「取るべき」とプレッシャーを感じながら取ろうと
しているのか、それをも「取りたい!」と胸の高鳴りを
感じながら取ろうとしているのかを
じっくり振り返ってみてください。

前者であれば、ケリーさんの場合は考え直すことを
おすすめします。「べき」で判断する時というのは、
純粋に自分を満たすことよりも、世間や他人を軸に
判断していることが想定されるからです。

これでは公務員の仕事を選んだ時と同じ状況に陥ること
になるでしょうし、ケリーさんの人生の大切な課題から
目を背けることにもなってしまいます。
真に大切なニーズが満たされることは無いでしょう。

ぜひ、「したい」と思うことをしてみてください。
人生に始めるのに遅いことはありません。
肉体的な生命ではなく、意識や魂のレベルでみたなら、
私たちはまだひよこかもしれません。そうであれば、
これからがスタートで成長率は無限大です。

お母様も同様で、全知全能の神ではありませんから、
共に学びの過程と思えば良いでしょう。
時として、年齢は親の方が上でも、精神的な、あるいは
魂の発達は子どもの方が上ということもあります。

私たちの恨みの感情は、そのせいで取り返しがつかなく
なった場合に強く生じます。

まだまだ取り返しがつくし、むしろそんな経験があった
からこそ、それがバネとなって人生経験や学びが深まった
ということに気づくことだってあるかもしれません。

そうであれば、恨みの念はいつの間にか消えることでしょう。
時として反面教師をしてくれた親に感謝すらするかもしれません。

まずは親が自分に出来なかったことを自分がしてあげる。
自己充足してから、さらに、親が実際に介護が必要になったら、
そのときの一呼吸おいた自分に
判断を委ねてみてはいかがでしょうか。

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