心のケア・精神の悩み

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Q:小学校中学校時代にいじめられたのを
ひきずっているのか
人前で感情を出すことができません。

笑うこともありません。

人と話すのも苦手で
人が嫌いなのかもしれません。

この年でこういう相談をするのも恥ずかしいですが
どのようにしたら直すことができるでしょうか?
 
  
【静岡大好き・50代・男性・会社員】
   
   
―――――――――――――――――
  
   
A:FROM 川畑のぶこ

勇気をもってご相談くださってありがとうございます。

静岡大好きさんのハンドルネームの「大好き」という部分に、
感情の豊かさが潜んでいることを感じています。

静岡大好きさんは決して感情が無いわけではなく、
それを表現するのが苦手なのかもしれませんね。

小中学校時代にいじめに遭っていたとのことで、
とてもお辛かったことと思います。

きっと、そのときも苦しさに耐えて、
ぐっと感情を抑えていたことと思います。

皮肉なことに、いじめは感情表現が豊かな人よりも、 
いじめる側からみて、
その行為に耐えられるようにみえる子や、
無反応な子がターゲットになることもあります。
 
声を荒げて教師や周囲に訴えることもないので、
大ごとにならず、陰湿にいじめが続くわけですね。
 
本来、静岡大好きさんの長所でもあるべき忍耐強さが、
いじめっ子との関係においては
裏目に出てしまっていたのだと察します。
  
「常に強くあらねば」、とか「がまんして耐えねば」
という思いで、頑張ってきたのかもしれませんし、
 
そのことで自分を崩してしまいそうな激しい感情と
向き合うことを免れてきたのかもしれません。
 
でも、安心していただきたいのは、
もう大人としての静岡大好きさんは、
  
いじめは理不尽であり、
ご自身がいじめに値する人間でないことは
ご存知だと思うので、
   
「そこまで頑張らなくても大丈夫だよ」と、
小中学生のあの頃の自分に
言い聞かせてあげてほしいのです。
   
そして、まずは一人きりになれる部屋など、
人目に触れない場所で、   
映画や本など、静岡大好きさんが
感情を動かされる作品に触れて、
思いっきり涙を流してみてほしいのです。
   
感情をリリースする練習です。
   
誰も他に人はいませんから、
そのことをジャッジする人はいませんし、
いるとすれば静岡大好きさんだけです。
     
そして、スッキリしたら、鏡を見て
すこしだけ自分自身に微笑んでみてください
(大きく笑う必要はありません)。
        
このように、少しずつ、抑圧していた感情を
リリースして自分自身に晒していきます。
   
それでも自分は自分で大丈夫だ
ということに気づくでしょう。
      
何より、そんな自分を
静岡大好きさん自身が受容してあげてください。
    
また、感情を説明的に表現してもかまいません。
   
たとえば泣くかわりに「悲しい」、
笑う代りに「楽しい」「面白い」「愉快」、
怒鳴る代りに「あたまにくる」などと
言葉で表現してみます。
   
身振り手振りや表情など、
さほど身体的なエネルギーを使わずに、
喜怒哀楽を伝えることができますね。
    
静岡大好きさんなりに、
無理のないことから表現し始めてみてください。
      
ただ、万一、そもそも昔から
感情が湧かないというような場合は、
アレキシサイミア(失感情症)の可能性もあります。
    
アレキシサイミアは病気ではなく、
その人の性格の特性なのですが、
   
自分の感情(情動)への気づきや、
その感情を言語化することに困難を持っています。
    
決して感情がまったく無いわけではなく、
自分自身や状況を内省するのが苦手
という特徴があります。
     
近年、アレキシサイミアは、
共感能力の欠如や衝動性などによる、
ストレスの対処の問題や
対人関係の問題との関連も研究されています。
   
遺伝的要因としては、
自閉症スペクトラム・アスペルガー症候群などの
発達障害のある人にも見られることがあります。
   
その場合、周囲から空気が読めないなどと言われて
いじめの対象になることもあるかもしれません。
     
また、アレキシサイミアは
他の精神疾患の陰性症状として出ていることも
ありますので、その場合は
精神科を受診して治療に取り組むことも大切です。
   
集団精神療法など、同じ課題を持つもの同士で
ワークをすることで気づきが得られることもあります。
  
「感情から逃げなくても大丈夫」ということを、
少しずつ確認していくことから始めてみてください。
  
ストレスに耐えるのではなく、
対処していけばよいことを覚えておいてください。
     
そして、自分自身を愛ある好奇心をもって観察して、
頑張りすぎて疲れがあることに気づいたなら、

無理をせずに休んだり、
充電するための時間をとるようにしてください。
   
そのようなご自身への優しさは
決して弱さではなく、強さであることを知ってください。
 
  
ーーー

  
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Q:夫と喧嘩になると
何日かその気持ちを引きずってしまい、
気持ちの切り替えに時間がかかります。

怒りの感情の扱い方と
気持ちの切り替え方を教えて頂きたいです。

【ひろ・40代・女性・保育士】

―――――――――――――――――

A:FROM 川畑のぶこ

怒りはいかにも激しい感情で、
私達を消耗させるものですよね。

私たちは相手が怒りをぶつけてきたなら、
その攻撃性に、ショックを受けて落ち込んだり、
逆に攻撃し返すかで対応してしまいがちです。

攻撃しかえすと一瞬はスカッとするかもしれません。
でも、その結果平和が訪れるかというと、
逆効果なのは私たちみんなが経験済みですね。

相手も、ならばさらに苦しめてやろうと、
苦しみの連鎖が生まれてしまいます。

怒りはものごとや相手が期待どおりや
思い通りにならなかったときに生じる感情ですが、

その多くは「かくあるべき」とか「かくあらねば」などと
いった信念によって生じています。
自分たちなりの「正しさ」ですね。

その正しさは自分が努力して(負荷をかけて)
つくりあげてきたものであればあるほど、執着してしまいます。
あの私の努力が無駄だったなどとは言わせない!と。

自分の価値を落としたくないので、
相手が間違っていることにしたいのです。
そのほうが楽ですしね。

相手が自分の理想通りであったに越したことはないのですが、
なかなかそうもいかないものです。

また、どちらが正しいかなんて、
実は全体の流れの中で見るとわからないことも多いものです。

相手や場面によっても正しさや健全さはつねに変化します。

たとえば、私は昨日、海外の僧侶と仕事をしていました。

比較的規模の大きい研修のオーガナイザーをしていたのですが、
会場の自動扉が故障しており時間になっても開きませんでした。

主催者ですから参加者が会場に入れなかったら大変と、
責任を感じますし、苛立ちを覚えます。
スタッフの中には守衛にきつく当たる者もいました。

それを観察していた若い僧侶が、懇親会の際、
あなたたちは、なぜ扉が開かないことにあそこまで一斉に、
そして必死に動いたのか?と疑問を投げかけられました。

私としては、時間ぴったりに会場の扉が開かなければ
イライラして当然ではないかと思いましたし、
日本では時間通りに事が進むのが当たり前と伝えました。

ところが、「こういうことは時として起こりうることなので、
それでは日本人はストレスばかりで
健康を害してしまうのでは?」と心配してきたのです。

確かに、「常に時間通りであるべきで、失敗は許されない」
と信じているからイライラする(怒る)わけで、
メンタル面で健康を蝕んでいるのはまちがいないです。

こういうことは起こりうることで、
さらに、こういうことが多くある国では、
そんなことにいちいちイライラせず、
皆、「待てば良い」と切り替えるわけです。

どちらが正しいかは何に重きを置くかによって変わってきます。

もちろん、私は国がちがうので、
相手の発想におもしろいなぁと感心こそするものの、
その価値観を否定する気にもならなければ苛立ちも覚えません。

これは国と国の異文化の話ですが、
夫婦も、もともとは違う文化を持つ家庭で育ち、
一緒になっています。

そのような意味で、
夫婦も異文化交流をしているわけです。

ならば、異なる価値観を持っていて当然だし、
どちらの価値観が常に正しいかではなく、
いま、この場面において、

より効果的な受け止め方は何か?という視点で、
好奇心をもって向き合えたのなら、
怒りの炎が激しくなることはないかもしれません。

そして、私が主催していた研修とは、
まさにティク・ナット・ハン禅師の教えを学ぶものであり、
禅師の教えには、怒りの炎をいかに消すかという
テーマが含まれます。

禅師は、
怒りは困っていることがあるから湧くのであり、
相手を攻撃者としてでなく、
困っている人と受け止めると良いと教えます。
自分も、相手も、困っているのです。

困っている人がいれば、私たちは
慈悲の気持ちをもって接するのではないでしょうか。

お互いに困っていることを確認しあって、
相互理解を深めようとする姿勢は
平和への第一歩となることと思います。

自分にも自分なりさまざまな限界があり、
その中での最善を尽くしていくように、
相手にも相手なりの限界がある中で最善を尽くしている、
ということを深く理解できると、

その理解を火を消す水のような
役割を果たすのではないでしょうか。

ぜひ、自分にも相手にも厳しさではなく
理解と思いやりの気持ちをもって接する努力を
してみてください。

ーーー

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Q:「死」への恐怖心があります。

死んだらどうなるんだろうと考えると
怖すぎて動けなくなります。

物心ついた頃からこの思いはずっとあります。
生き続けたい。

毎日が充実していないということでもないのですが…

普段は考えないようにしていますが、
年齢を重ねるごとに恐怖が増しています。

【ヒロ・50代・女性・パート】

―――――――――――――――――

A:FROM 川畑のぶこ

動物の生存本能からして、
死を避けようとするのは当然のことです。

生き物の人間として、
「死にたくない」「生き続けたい」
という気持ちがあるのは自然なことで
ヒロさんだけではありません。

ただ、私たちは努力さえすれば
死を永遠に避けられるのかというと
そうではありません。

私たちの生涯死亡率は100%です。

死は不可避であり、タイミングの差こそあれ、
私たちひとりひとりにいつか必ず平等に訪れます。

ですので、ニュースなどで
どこそこの街で犠牲者が出た
というようなものを耳にしたときに

「私の街でなくてよかった」
といった他人事反応は不適切なのです。

いつかかならず訪れる死を否定し続けることは、
苦しみを生み出します。

苦しみは抵抗により生まれるものです。

私たちが死を受容できない理由には、
動物の本能以外にも、
死に対する「信念」が影響しています。

おそらく多くの人は、無意識のうちに
次のような死に対する信念を
抱いているのではないでしょうか。

「死は最悪の出来事で、苦しみを伴うものだ。」

「死んだらすべての終わりだ。」

「死んだら無価値になってしまうのだ。」

「闇に葬られ、忘れ去られてしまうのだ。」

etc.

私たちは一般的に「死とはなにか」とか
「死とどのように向きあうか」といった教育は
受けてきていませんし、
死は基本的に忌避されるトピックです。

この忌避がさらに「触れてはならぬほど最悪のこと」
という無意識な刷り込みを生じさせます。

でも、私たちが少し意識を広げてみると、
世の中には死にまつわる豊かな教えが
多く存在することに気づきます。

それらの多くで共通しているのは、
死は肉体の終わりであるが、
私たち存在そのものの終わりではないというものです。

存在の本質を魂というのか、霊というのか、
エネルギーというのか呼称は色々あるでしょうが、

いずれにせよ、目に見えない本質的な部分は
生まれる前からも、そして死後も存続する
というものが多いのです。

そうであれば、
この人生は長い旅のひとつの過程にすぎません。

私自身は、個人的に
「人生は期間限定地球の旅」と信じており、
肉体は「地球服」ととらえています。

宇宙旅行をするときに宇宙服を着なければいけないように、
地球を旅するときは肉体をまとわないとその旅ができません。

そして、旅の目的は旅を終わらせないことではなく、
その旅をたのしむこと。

旅の長さではなく質です。

いかに死なないかではなく、
いかに生きるかに集中することです。

地球服としての身体をメンテナンスしながら、
喜怒哀楽いろいろ体験し、経験値を高め、
魂を成長させていくことだと思っています。

このように、生存本能自体を消すことはできませんし、
無論、その必要もないわけですが、
死に対する信念を健全なものにすることによって、

過度な恐れを解消して、
恐れのエネルギーを今日この日を精一杯生きることに
使えるようになるでしょう。

また、死ぬ瞬間のプロセスに関しても、
数々の臨死体験者の報告では、
死に至るまでの過程がどうであれ、

死のプロセスそのものは
安らぎに満ちたプロセスであり、
光に導かれるようなプロセスともいわれています。

果たして個人的な死がどのようなものであるかは、
実際のところ死んでみないことには分かりませんが、

実証できない以上、
私たちが何を信じて生きるかは自由です。

ぜひヒロさんが安心して今日この日を過ごせる
死生観を育んでみてください。

後悔のないあるいは少ない人は、死の受容もしやすく、
死のプロセスも穏やかだといわれています。

人生に多くのやり残したことがあり
それらに執着している人というのは、
死に向かうプロセスも苦しみの多いものになるようです。

もし、旅が期間限定なら、
そして懐かしい我が家に帰る日が来るなら、
それまでの残された時間を
どのように過ごしたいでしょうか。

もし、その旅の期限が

今年なら…

今月なら…

今週なら…

今日なら…

ヒロさんはその時間をどのように過ごしたいでしょうか。

そこに今この瞬間をいかに生きるかの
ヒントがあるかもしれません。

ーーー

★死別と悲嘆のためのマインドフルネス

4月29-30日@東京大学 駒場キャンパス
(川畑のぶこ登壇)

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FROM:川畑のぶこ

「ヒットラーがヒットラーとして生きることを信頼しろ。」

心理療法の師、サイモントン博士が
レクチャーの中で説いた言葉です。

博士の通訳としてサイモントン療法に関わっていた
24年前の当時、
この言葉を聞いてとても衝撃を受けました。

「は?いったいこの人は何を言っているのだろう?」
「私が聞いたことは正しい?」
「私の通訳、本当に合っている?」
と、とても不安にもなりました。

念の為、聞き返すとやはり同じことを言っています。

噛み砕いてみると、私たちは
「一国のリーダーたるや、かくあるべき」
という理想像があり、
 
その理想の枠組に収まらない人なら信頼できず、
不安や怒りや絶望感を抱きます。

相手が変わらない限り、人生や世の中は機能しない
ものと受け止めてしまうのです。

ヒットラーは極端な例ですが、
これはより身近な夫婦関係や親子関係、
職場の人間関係や友人関係にも当てはまることです。

それぞれに対する無意識な理想の像や期待があり、
その枠組からはみ出していると不信感を抱き
ストレス下に陥ってしまうのです。

何かを信頼することは私達に心の平安を与えてくれますし、
QOL(人生の質)を高めてくれます。

ただし、いったい何をどのように信頼しているのかを
精査してみることは大切です。

放っておいても、人々は理想通りに行動するはずと
信頼しているなら、ストレスも多くなることでしょう。

なぜなら、自分自身がそうであるように、
常に理想通りに行動する人はなかなかいません。

それでも、それぞれの限界の中で、
その時点における最善を尽くしているのは
事実なのではないでしょうか。

たとえそれがいびつに見えても、
当人にはそのようにならざるを得ない背景が
かならずあります。

それは生育歴に影響を受けているかもしれませんし、
大切な者との関係において起きた
トラウマティックな体験の影響を
受けているかもしれません。

愛情の欠如だったかもしれませんし、
情報や教育が不足していたかもしれません。

それぞれに、
物理的な限界、心理的な限界、社会的な限界、
知識的な限界、知性的な限界、経済的な限界、
肉体的な限界、
またスピリチュアルな限界などがあるでしょう…

それらの限界の中で、
その人なりのその時点での最善を尽くしていることは
まちがいないのではないでしょうか。

いびつかもしれないし不器用かもしれない、けれども、
その人なりの限界の中での出来る限りのことを
しているわけです。

徹底的なコントロールさえすれば、
完璧にこなせるかといえば、
人間である以上、失敗は免れません。

人間は失敗を免れない存在であると
自然に即した信念を育むことができれば

私たちの抱くストレスは低減されるはずですし、
日々の出来事にも過剰反応することなく、
より柔軟に向き合えるはずです。

このように私たちの人生は、
ものの見方ひとつで大きく変わってきます。

ヒットラーも、結果としてそれが
不健全な状態を招いたにせよ、

彼はその時点での彼なりの理想をもって
最善を尽くしたことを理解し、

そして、そこから適切な距離をとり、
自分なりに違いをおこすための
ベストを尽くすことは可能です。

人は過ちを犯す。
けれども、それを正すことができるのもまた人である。

このように信頼できたのなら、
私達の人生は希望に満ちたものになるのではないでしょうか。

向き合う相手も世の中も、
なかなか常に思い通りにはいきません。

けれど、それなりに人生は機能するし、私は私の人生を
私の心に誠実に切り開いていくことはできます。

サイモントン先生は
「私たちは見ることを信じると学んでいるが、
 信じることを見るのもまた事実である。」
とも教えてくれました。

完璧や極端なポジティブにとらわれず、
自然に即した健全なものの見方や考え方を育むことで

私たちに心の平安が訪れ、
より豊かな人生を歩むことができることでしょう。

あなたはいったい何をどのように信じていますか?
それらはあなたの人生を豊かにしてくれますか?
信頼するとはどのようなことでしょうか?

ぜひいちど振り返ってみてください。

不健全な信念を健全にかえる術を身につけることで、
人生の流れはガラッと変わります。

 
 

★人生の悲嘆に平静に向き合う
〜マインドフルネス研修会
川畑のぶこ登壇@東京大学駒場キャンパス
https://peatix.com/event/3497014

医療者、心理・ヘルスケア関係者が対象ですが
マインドフルネスや心身医学にご関心のある方は
どなたでもご参加できます。
セルフケアにお役立てください。

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FROM 川畑のぶこ

今日は、三日月さん(40代・女性・主婦)
のご相談にお答えします。

【Q】はじめまして。
いつもさまざまな悩み相談の内容と
回答を興味深く拝見しております。

私は40歳で、4人の子どもを持つ主婦です。

自分の生い立ちから、性格、子育てに悩む毎日で、
治したくてもなかなか治らず、本当に困っています。

亡くなった父は、自分も幼少期に
酒乱の母親から虐待を受けていたこともあり、
子ども時代は私もよく殴られたりしました。

大人になってからは良好な関係が築けていましたが、
お互いお酒を飲むと衝突することがあり、

取っ組み合いになり殴られて
眼の周りを骨折したこともあります。

そんな父への感情は亡くなった今も複雑で、
過去を思い出すと、
殺したいという感情になることもあれば、

逆に、とても大好きで
居なくなったことを寂しいと思う感情になることもあります。

殴られている私を母は庇ってはくれず、
母への恨みのようなものも
根っこの部分に少なからず持っています。

そんな私ですが、
働き始めて自分でお金を稼げるようになってから、
とにかく散財をしてしまうようになりました。

散財するのは、服や自分を着飾れる物で、
食べ物や交際費などの消え物には使いたくないのです。

とにかく自分をよく見せたい。
そんな感情にかられます。

若い頃は周りに友達もいて、他に楽しいこともあったりして、
まだそこまで散財はひどくはなかったものの、

結婚してからは、主人の稼ぎが良いのもあり、
借金はしていないものの貯金なんて全くできていません。

とにかく欲しい。

買う物は、値下げ品やアウトレット品など
お得な物ではありますが、

お得であればあるほど、タガが外れたようになり、
一日に10万くらい使ってしまう日もあります。

ただ、結局ほとんどのものは使っておらず、
眺めているか、やっぱり似合わないから要らないと、
買取業者に出したりしてるかで、

本当に無駄なことをしていると自分でも分かっているのです。
でもやめられません。

何度も断捨離の本や片付けの本などを読み、
奮起してみましたが、結局戻ってしまいます。

これから子どもの教育費もかかるし、
どうにか辞めたいと思い、主人に
お金の管理を代わってほしいと相談もしましたが、
無理でした。

主人は物欲がなく、何も欲しいと言いません。

食べたい物も行きたい所も何もなく、
何を聞いても「うーん…」と言うだけで、
答えが何も出てきません。

何もかも私が決めなくてはいけないのもストレスで、
そういったストレス発散も散財に
拍車をかけているような気がします。

子育てもいつもイライラしてしまい、余裕がなく、
自分の父親のようにはなってはいないにしても、

お酒に頼ることもあったり、
少なからず自分にも父の血を感じることはあります。

自分の周りに子どもがベタベタ来るのも嫌で、
母親なのに嫌悪感すら感じてしまいます。

たまに、妻も母もやめて1人で自由にどこかに行きたい!
という衝動に駆られることもあります。

なんとか母性で踏み止まっていますが、
いつか爆発しそうで怖いです。

自分のこんな性格や散財癖をどうにかしたいです。

 
【A】「妻も母もやめて1人で自由に
どこかに行きたいたい」というところに、
三日月さんの心の叫び、
魂の叫びのようなものが伝わってきます。

日々、かなり抑圧的に過ごされている
のではないかなと感じました。

アルコール依存症はある程度、
世代間連鎖をするということがわかっています。

幼い頃に虐待を受けた対象であるお母様を、
お父様はモデリングしてしまっている可能性がありますね。

母親とそのような関わり方をされたお父様は、
ご自分ではそれを嫌だと思いつつも、

何かあった際に衝動的に、
母親と同じような行動に出てしまう。

そのようなパターンをお持ちだったのでしょう。

今の三日月さんには、
自分の代でその連鎖を断ち切ると決めること、
そして、そのための行動に出ることが必要です。

また、とことん抑圧して爆発、という「全か無か」ではなく、
日頃からご自身のニーズを健全に主張し、
伝えるスキルを身につけることをお勧めします。

続きは、ビデオでお話しします……

 

 

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FROM 川畑のぶこ

今日は、もやもや子さん(50代・女性・会社員)
のご相談にお答えします。

【Q】20年ほど前に現在の職場に来てからうつ病を発病し、
受診をしながら、職場の協力もいただきつつ
6年前に5ヵ月休職も経験しましたが、

業務調整をしながらなんとか仕事を続けて、
ようやく定年を目の前にしています。

元気を取り戻すと、
もともとの元気だった自分の状況に戻りたいと、
つい活動を増やし、

そして、やめればよかったと後悔し、
時々は気持ちがどうしてもざわざわし、

一度引き受けた仕事を取りやめたり
仕事を減らしたりするなど、
周囲に迷惑をかけてしまうこともありました。

それでも、生き生きと前向きな自分でいたい、
という気持ちがぬぐえません。

もう60にもなるのに、
これからもこのような気持ちの浮き沈みのある生活
が続くのか、と思うと悲しい気持ちになりますし、

自分がやりたいことをやろうとして調子が悪くなるのか、
という残念な気持ちにもなります。

若い頃から時々落ち込むこともあったので、
自分の性格のせいだろうと思い
カウンセリングもたびたび受けましたが、
何かが改善するということにはならず、

その時々の業務調整やドクターとの橋渡しに
力を貸してもらうにとどまってしまい、
お金もかかるので、また受ける気持ちにはなりません。

定年後は非常勤職になり、
自分がやりたいと思ったはずの仕事だけを
私なりに絞って続ける予定ですが、
また気持ちが落ち込み始めています。

医師は、体調に合わせて活動の量を減らすことが
必要と考えているようですので、
活動を増やすときはあまり相談していません。

まだやりすぎなのでしょうか。
やりたい気持ちを抑えることや、活動を「適量」に
抑える術が私にとってはなかなか難しいです。

今は少し辛いので、もう働きたくないのかもしれない、
と感じたりもします。

でも生活のためにある程度は働かないといけないし、
それだけではなく、
働かなければきっと生きがいはなく、
また働きたいと思うようになり、
頑張りすぎてしまうだろうと思います。

自分がどうしたいのかがわかり、
一定の幸せな気持ちを感じながら生きていくのに
何か助けになることはありますでしょうか。

ちなみに、今も薬は飲んでいます。
双極性障害ではない、とは言われています。​​

 
【A】もや子さんはきっと、
とても誠実で頑張り屋さんなのですね。

うつ病は頑張り屋さんがなりやすい病気でもあります。

理想を高く持って邁進するのだけれど、
どこかで疲れて、心が折れてしまうというようなことが、
もしかしたらもや子さんにもあったのかもしれませんね。

もや子さんは50代ということですから、
バブルを経験している世代でしょうか。

あの頃は、寝る暇も惜しんで頑張ってやっていれば
成果が上がって、何でもうまくいく、
そんな時代でもあったと思います。

その感覚が細胞レベルで記憶に残っていると、
活動的だった当時の自分というのが
一つのセルフイメージ、理想の自分になって
しまっている可能性があるかもしれません。

無意識下で起こっていることなのですが、
これを変えていくことが必要になってきます。

あの時の自分がベストだとか、
あの時ぐらいできていて初めて自分は価値があるんだ、
OKなんだという考え方を変えていく必要があります。

続きは、ビデオでお話しします……

 

 

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FROM 川畑のぶこ

今日は、チョウさん(50代・女性・事務職)
のご相談にお答えします。

【Q】私は、緊張するとトイレを催してしまいます。

特に、すぐトイレに行けないような状況や、
人と接している時などにです。

会議、乗り物、人と商談中、セミナーなどの時、
「すぐトイレに行けない。
トイレを催してしまったらどうしよう」と考えてしまい、
緊張と、不安、ネガティブな考えでいっぱいになります。

行きたくなったら行けばいいのですが、
言い出せなかったり、恥ずかしさがあったり、
こんな所でトイレには行けないなどと考えてしまい、
余計に追い詰められ、緊張してしまいます。

そうすると、腸が反応して、トイレに行きたくなります。

どうか、対処方法を教えてください。
よろしくお願いいたします。
 

【A】腸の動きには、心理的なものも深く影響します。

腸と脳の関係で「脳腸相関」という言葉がありますが、
今回のご相談は
気質的なことなどもあるかもしれませんので、

私の同僚で、腸と心の関係に詳しい
城谷昌彦先生(ルークス芦屋クリニック)に訊いてみました。

腸と脳、心の関係に詳しい専門の先生ならではの
ご回答をいただきましたので、
ビデオの中で紹介させていただきますね。

食事では、一般的に
いわゆる「腸活」に良いとされているものが、
かえって刺激になることがあり注意が必要のようです。

私も普段から腸に良いと思って食べていたものが
実はそうではないと今回知り、驚いています。

続きは、ビデオでお話しします……

 

 

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FROM 川畑のぶこ

今日は、チョコママさん(40代・女性・専業主婦)
のご相談にお答えします。

【Q】はじめまして。
幼稚園児のママです。

義理の母の死後、重度障害のある
義理の妹を引き取っています。

平日はケアしてくださる方が毎日来てくださり、
お風呂等お世話してくれているので
何もしなくてもいいにも関わらず、
義理の妹の存在を疎ましく思ってしまいます。

どこかに連れて行くにも大変で、
土日もどこにも行けず、旅行へも行けません。

夫は不満を漏らさず、世話をしています。
施設に預けようという気は全くありません。

自由に旅行したり、お出かけができないストレスが募り、
彼女がいなければ、、、とばかり考えてしまう自分が嫌です。

私なりに今できることをする、
これも与えられた何かのメッセージ、
とプラスに切り替えることがなかなかできません。

アドバイスをよろしくお願いします。

【A】ご自身の状況をプラスに考えようとする一方で、
自由が効かない日々に悲観的にもなってしまう、

チョコママさんの揺らぐ気持ちが
とてもよく伝わってきます。

義妹さんの重度障害というのは当然、
なりたくてなったものではありませんし、

家族になったのであれば、
血がつながっていないにせよ、これもご縁と、
チョコママさんも気持ちを切り替えて
お世話をしていこうと決められたのですよね。

愛するご主人の力になりたい
というお気持ちもあったでしょう。

このような慈悲心、
人の痛みや苦しみを取り除いてあげたい、
安らぎを与えたいという気持ちは
とても大切で美しいものです。

ただし「慈悲」というのは、
相手にだけではなく自分にも
かけてあげることがとても大切です。

続きは、ビデオでお話しします……

 

 

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Q:買い物依存症です。
収支に見合ったお金の使い方ができません。

カード利用をやめれば良いのだと思うものの、
田舎に嫁ぎ商店もデパートもなく、
物を手に取って選べないこともあってか、
ネットでのショッピングにハマり、
他にもzoomでの学び代などに使用しています。

夫から十分な手当てをもらっているのですが、
その半分以上がローンの返済と積み立ての保険料、
継続中のサプリや化粧品、勉強代で終わります。

残りのお金がどれだけあるのか、
よく考えて使えば問題ないのですが、
欲しい!と思うと手が出てしまい、

翌月の請求額に愕然とし、
足りない分を夫に借りて支払っています。
イタチごっこ状態です。

つい先日、自分なりに大体の月々の出費を
書き出し、計画を立ててみました。
それでも今後自制し続ける自信がありません。

当然、先々の蓄えもなく、気の向くままに
わがままに生きていることが恥ずかしいです。

そんな気持ちがあるにも関わらず、喉元過ぎれば‥で
すぐに浪費している自分がとても嫌です。

夫にも散々叱られています。
根本から性根を治すためにはどうすると良いでしょうか。

ご指南いただけましたら大変有り難いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

蛇足ですが、結婚後一年ほどで躁うつ病と診断され
20年が経ち、ずっと投薬治療を受けています。

【naojiro・50代・女性・農業(主婦)】

―――――――――――――――――

A:FROM 川畑のぶこ

ショッピングが気晴らしになったり
ストレス発散になったりする経験は
とくに女性の多くが持っているのではないでしょうか。

それが街中であれ、オンラインであれ、
美しいものやかわいいものを目にすると、
ワクワクして気分が上がるものです。

とりわけオンラインショッピングは
時間や場所を選ばず、ワンクリックですべてが完結するので、
その手軽さからついついポチポチ、
気がつけばカードの桁が大変なことになっている
なんて経験をされた方も多いでしょう。

かくいう私もつい先日、
子どもの出演イベントのオンラインフォトアルバムを
ポチポチやっていたら桁が一桁ずれていて青ざめました…

これらのショッピングやウィンドウショッピングが
単純に自身の心や物理的なニーズを満たすものであれば、
そして、それが経済的なバランスが取れている範囲内であれば、
なんら問題はありません。

ところが、naojiroさんのように、
収入より無駄な買い物で支出が多いなど、
経済的なバランスが崩れていたり、
それによって家族も巻き込まれるなど社会的なバランスも崩れ、

本人も罪悪感や後悔や恥じる気持ちに苛まれるなど、
苦しみをともなう場合は依存症の可能性が高いです。

今回はちょっと買いすぎちゃったという状態と、
買い物依存症という病的な買い物の区別は
どういうものかということについて、
次の10の特徴の有無を確認してみるとよいです。

  
・買い物を止めたくても止められないと感じている、
  または止めようと思っても止められないでいる。

・買い物のせいで、人間関係や仕事、経済状況が悪くなった。

・パートナー、家族、友人などが、
 私のネットショッピングを心配していたり、
 そのことで彼らと言い争いになってしまう。

・オンラインショッピングのことを常に考えている。

・買い物ができないと、不機嫌になったり、腹が立ったりする。

・買い物が唯一のリラックスや気分転換になる。

・他人に理不尽だと思われたり、
 お金の無駄遣いと思われるのが怖くて、買ったものを隠してしまう。

・買い物をした後は、罪悪感を感じることが多い。

・買い物のせいで、他の楽しいことをする時間が減ってしまった。

・余裕がないときでも、必要のないものや
 予定より、はるかに多いものを買ってしまうことがよくある。

いかがでしょうか?

買い物でも、オンラインショッピング中毒の場合、
人との交流がないことが
状況を悪化させやすいという指摘もあります。

人の目や社会的な交流がある中での買い物では、
自分の行動を他人の視線を意識して見るため、
ある程度の自制がききやすい人も、
ひとたびオンラインとなると、
人の目が無いため自制心が効きにくくなります。

人付き合いの回避が依存を悪化させてしまうわけです。

また、オンラインはワンクリックで
ニーズが満たせる即効性があり、
私達の報酬系が満たされやすくなります。

大切なのは、ニーズや喜びを買い物やモノに依存せず、
それ以外のリアルな世界で満たしていくことです。

愛する人々との関わりの中に身をおくことで、
買い物で何かを獲得することにより
自分が「何者か」であることを確認したり
証明したりしなくてよくなるかもしれません。

買い物依存症の多くは自分に自信がなかったり、
どこかで見栄を張りたい気持ちがあったりすることが多いです。

また、自力で(ひとりで)何かを達成しなければいけないと
思っていることもあります。

それを、人より秀でている必要はないし、
人との関わり合いの中で、みんなそれぞれであること、
私は私でよいと思えるようになってきたなら、
買い物の仕方に変化が出てくるかもしれません。

naojiroさんの居場所が感じられる場作りが大切ですね。

そのためには、心を開く作業が必要です。

たとえば、とっかかりとして、それこそnaojiroさんが
「ついつい買い過ぎちゃうのよね」なんて
罪の意識や恥ずかしい気持ちを隠すかわりに
素直に吐露することで、
周囲も「あるある」と共感してくれることもあります。

すると、私は決して一人ではないんだと
感じられるかもしれません。

「恥ずかしいから隠す」のではなく、
「オープンにシェアしてつながる」ことを意識してみてください。

naojiroさんが思うほど周囲はnaojiroさんに
注目してジャッジしているわけではなく、
それぞれ自分のことで必死ということにも
気づくかもしれません。

何者かになるために、あるいは心のぽっかりを埋めるために
買い物をし続けなくて済むようになるかもしれません。

買い物依存症はときとして、
うつ病や不安障害などを併発していることもあるので、
心がしんどいときは無理せずに受診することが大切なのも
忘れないようにしてください。

 
      
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Q:こんにちは。
離婚をきっかけに自分が目を背けていた
自分自身の問題について
現在まで考え続けています。

最近気が付いたのは、
私は自分にただ自信がないのではなく、
女性としての自信がないのだということです。

私には2才下の弟がいますが、
弟が生まれたことで女の自分を否定し、
男に負けてはいけないという考えを
持ってしまったのかもしれません。

それでおそらく自分の女性性を育てられずに
来てしまったと分かっても、
今さらどうやって取り戻せばいいのか、
頭で分かっていても自分を女性として
扱うことに抵抗を感じてしまいます。

【コジカ・50代・女性・パート】

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A:FROM 川畑のぶこ

離婚を通して、無意識な女性性の否定が
コジカさんを苦しめていることに気づかれたのですね。

その気づきをもって前進しようとされている
コジカさんの姿勢はとても素晴らしいと思います。

私たちにとって、幼少期に親の愛情を
得られるか否かは死活問題です。

いかに愛情を得るかのサバイバルゲームに
突入しますが、そのゲームはときとして
不毛に終わることがあります。

コジカさんの場合、弟さんが生まれ、
親の愛情が一気に弟さんへ注がれることになると、
自分が取り残されるような不安や恐怖を
幼心に敏感に感じ取ったのでしょうね。

そして、親の愛を取り戻すには、
弟のように、あるいはそれを超える存在に
ならなければいけないと、
その不器用な戦略が「女でいることをやめる」
という無意識な決意だったのでしょう。

弟と私の明確な差といえば、男か女か、
弟は男だから愛が得られるのだと。

なので自分も女性性を消して
男性性を優位にさせなければと。

ところが、どんなに否定してみても、
コジカさんの中に宿る女性性が
完全に消えることはありませんから、
それは無意識のうちに抑圧され、
コジカさんの影(シャドウ)となって
ひっそりコジカさんとともに生きてきたのでしょう。

影は光が強くなればなるほど濃さを増します。

コジカさんが、男性張りにさまざまなことを
頑張ろうとすればするほど、
弱さを見せず、強くあろうとすればするほどに、
周囲との摩擦や反発が強くなるという体験を
したかもしれません。

周囲の女を前面に出す人が鼻についたり、
蔑んでみたりしたこともあるかもしれません。

すると、シャドウはさらに濃くなり、
どこかにはけ口を求めます。

離婚という人生の大きな出来事を通じて、
コジカさんは一瞬にして脆さと弱さを
体験することになったのではないでしょうか。

誰かに守られたい感覚が
湧いてきたのではないでしょうか。

その感覚を素直に受容してあげると良いと思います。

弱いところがあってよい、
脆いところがあってよい、
守られたい感覚を持って良い、
甘えて良い。

鼻につく女性性の高い人は、
もしかしたら自分に無いものを持っているので
本当は羨ましかったのかもしれません。

でも、その女性性も本当は
コジカさんに無いものなのではなく、
単に抑え込んでいただけ
ということに気づいてあげてください。

女性性の種はちゃんとコジカさんの中に宿っているのです。

その種に水やりをしてあげてください。

形から入るというのは
手っ取り早いアプローチかもしれません。

これまでは抵抗があったかもしれない
女性っぽいものを身に着けたり
持ってみたりするのも良いでしょう。

パンツルックが多かったなら、スカートを履いてみたり、
スニーカーの変わりにミュールやヒールを履くなど
服装の変化かもしれませんし、メイクかもしれません。

女性らしい色や柄のアイテムを持つことかもしれません。

スイート過ぎて敬遠していたものも、
実際に身に纏ったり持ってみたりすると
気分がちょこっと上がるという経験をするかもしれません。

ご自身の中にいる子どもの頃のコジカちゃんに、
「女の子でいて大丈夫だよ」と声掛けをしてあげて、
一緒にさまざまな選択をしてみると良いでしょう。

コジカさんの中の女性性と男性性を
統合されていくにつれて
周囲との調和も取れてくることでしょう。

まだ出会っていない自分の秘めた可能性に、
ぜひ愛ある好奇心をもって向き合ってあげてください。

 
      
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講師:川畑のぶこ 心理療法家
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