親子関係

20150416

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【Q】料理をするのが苦痛です

私は結婚26年目、51歳の主婦です。

結婚前から料理が大の苦手で主人にプロポーズされた時、
「料理が苦手だから」と一度断りましたが、
「一緒に頑張ろう」と言われ、なんとか25年も頑張れました。

色んなストレスで10年以上前から味覚障害で
自分の作った料理の味もあまりわからない状態です。 

今春から社会人(長女)と大学3年生(長男)の子どもがいます。

子ども達は結婚するまで同居したいようですが、
このまま何年も子ども達の分も食事の用意(朝、夜)をするのが
苦痛です。

時々、美味しいと褒めてくれる時もありますが、
正直いつまで面倒見なきゃいけないの?
親っていつまで子どもの食事を作るのが常識なのでしょうか?

長女は大学2年時、料理教室に通ったので簡単な家庭料理は作れます。
でも、めんどくさがり屋なのであまり手伝ってはくれません。
長男は全く料理に興味がありません。

二人はスーパーでお惣菜を買ってくるとかんかんに怒ります。
今後、どうすればうまくいきますでしょうか?

【51歳 保育士補助 コロン様】

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FROM 川畑のぶこ

【A】25年間家族のために弛むこと無く家族のために食事を
つくってきていること、実に素晴らしい仕事をされてきていますね。

苦手であるにも関わらず料理をする、コロンさんの家族への
愛の表現のひとつであり、
愛故ここまでがんばってこられたのだと思います。

まずご自身の労をねぎらってください。

もちろん、料理以外の家事育児でも愛をたくさん表現されてきたこと
と思います。

さて、愛に関しては、家族の全ての要望に応えることが唯一のかたち
ではないということを学ぶ機会にいらっしゃるのではないかと思います。

今回、料理が苦手でストレスになっているコロンさんに「味覚障害」
という病気が訪れたことは、決して偶然ではないかもしれません。

自分の心の声をマインドが素直に受け容れられず抵抗し
封じ込めていると、やがて心の澱がたまって身体をつかって
コミュニケーションしてくることがあります。

「味覚障害」という非言語的なコミュニケーションをもって、
「もう料理に関わりたくない」という素直な気持ちを
表現しているのかもしれません。

大切なのは、それを受け容れるということです。

苦手を克服して強くなることもあります。

ところが苦手を受け容れて、助け合うのもまた人間のなせる
素晴らしい技であり愛の表現ではないでしょうか。

どうでしょう、コロンさんが今まで家族に表現してきた愛を
こんどは、コロンさんがご家族から受けてはいかがでしょうか?

子どもや家族の「めんどうくさい」を全てカバーすることが
愛だとは限りません。

今度は家族が「めんどうくさい」を克服して障害ある家族を
助ける=愛を健全に表現する機会を提供してはいかがでしょうか。

無論、乳幼児に親のために料理をつくることを求めることは
出来ないかもしれません。

ところが、お子様は社会人と大学三年生とのこと。
そうであれば、料理をつくることは可能なことです。

「自分のことは自分でする」
「困っている人が周囲にいるときは助け合う」
ことを学習する機会としてはいかがでしょうか。

これは人生で必要で重要なスキルです。

経済効果を上げる仕事は熱心に行うけれども、生きる力やスキル
を持っていないというのは不幸なことです。

「料理とは妻がつくるもの」
「料理とは母がつくるもの」
「料理とは女がつくるもの」
「たとえ障害があってもあなたがすべきこと」

このような姿勢を強化することは賢いことなのか
振り返ってみてください。

また、家族ともフォーマルなコミュニケーションの場を
設けてみてください。

不平不満や否定からではなく、困っているので助けて欲しい
という姿勢で一度ご家族ときちんと向かい合い、
コロンさんの心の声、そして身体の声を伝えてみてください。

たとえ家族が状況を受け容れがたくとも、
家族がコロンさんに「ノー」というように、
コロンさんにも家族に「ノー」と言う権利はあるのです。

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【Q】娘と喧嘩してしまいます

気持ちをおさえられずに、喧嘩してしまいます

海外に在住していて、心疾患の娘がいます。
娘はいたって元気なのですが、私の思い通りにならないと
私がすぐきれて大喧嘩になります。

改善しようと思うのですが、数週間たつと同じスパイラル
にはいってしまいます。

6年半付き合った彼がいました。
今年五月に同居を試みたのですがうまくいかず、
喧嘩ばかり。

4月には6年ぶりに一時帰国、5月には引越し、
7月には2週間旅行、10月には娘のカテーテル検査。

あまりに予定が多すぎたのでしょうか。
彼のことを理解することもできなくなり
毎日コントロールしてしまいました。

彼には18歳離れた母と、その元で暮らしている24の
彼の娘がいます。彼らは私たちに気を使ってくれていた
と思うのですが、夜帰ってくると呼び出されたり、
何かと手伝いに行くことがありました。
(そんなに頻繁にではありませんが)

娘の入院の前に、私が情緒不安定になり
そばにいてくれるよう頼んだのですが、
前日も彼の娘の車の高速道路走行の練習をすると、
2時間ほど家を空けました。

大喧嘩の当日は彼の母と話し合いの日だったのですが、
その前に、私の娘、彼とけんかになり、
話し合いには行かないといいました。
すると母があがりこんできて怒鳴りあいのけんかになりました。

いつも別れては後悔して元に戻るのですが、
また堂々巡りをします。自分の気持ちをコントロールしたい
のですがなかなかうまくいきません。

今回の別れは、私が家を飛び出したので、
元のような関係に戻ることはないと思います。
非常に残念ですが、、、、。

自分の娘との衝突、思い通りにいかないといらいらしてしまう
自分を何とかする方法はないでしょうか。
更年期が過ぎるのを待つしかないのでしょうか。

【40代 通訳 きぬび様】

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FROM 川畑のぶこ
A:
愛する娘が病気を抱えている。
母親であれば心配なのは当然でしょう。
その安全が確認できなければイライラすることもあるでしょう。

それらのイライラ、怒り、それは全て愛からきているのですよね。
病気があるにも関わらず、ここまでよくやってきている
まずは娘さんに宿る叡智と、きぬびさんご自身のこれまでの
献身的(物理的にも精神的にも)なケアを称えてあげてください。

さて、相手への心配、イライラ、怒り、これらは全て愛からくる、
では、愛しているからという理由であれば、何でも許されるのか?
というと、決してそうではないことは、きぬびさんご自身気づいて
いらっしゃることと思います。

それが相手にとって絶対良いはずだからと、相手が私の理想通りに
なることで自分が安心したい、これは利己的な愛。

自分の思い通りではないけれど、相手なりに必要なプロセスを経て
人生を切り開いて成長していく―決して年齢は関係なくー
そのことを見守る。これは利他的な愛。

どちらも本質的に私たちに備わっている愛の形ではありますが、
そのバランスが崩れると、人間関係は一気に崩れて行くと思います。

相手のことを蔑ろにして自分ばかりを満たそうとすれば
不調和をきたします。
逆に、自分のことを蔑ろにして、相手のことばかり満たそうとしても
やはり不調和を来します。

結果的に自分を満たすことも相手を満たすことも不可分ではありますが、
それを「どのよう」に行うかということは大切なポイントとなります。

健全な愛情関係は相手をコントロールする執着の上にではなく、
相手を自由にする、信頼の上になりたつということを覚えておくと
良いかもしれません。

信頼とは決して「相手が自分の思い通りになる」と信じることでは
ありません。たとえ、自分の理想通りではなくても、相手なりに
その時点でのベストを尽くして相手なりに人生を切り開いて行く。
私がそうであったように、また今もそうであるように。

たとえ相手の思い通りのかたちやタイミングではないかもしれない
けれど、そして、自分の理想通りの自分ではないかもしれないけれど、
自分なりにその時点でのベストをつくしてここまで一生懸命やってきた。
前進したり後退したりしながら…それを認め信じてあげること。

そしてこれからも今できるベストを尽くして前進していく。
必要なかたちやタイミングで。

これが信頼ベースの人間関係です。

まずきぬびさんご自身が、自分の人生に対して信頼を置いていること
は相手との健全な人間関係に置いて必要不可欠なことです。
自分が自分を信頼していると、相手を信頼しやすくなります。
相手を信頼していない人というのは、そもそも自分自身を信頼して
いないことが多いものです。

自分も相手も今、必要なプロセスにいると。
人間は失敗を免れないけれども、そこから学ぶと。

今は学びの意味が分からず、天に悪態つきたくなるかもしれないけれど、
それでも、ある時点でハッとそれに気づくことがくると。
今はしがみついていても、やがて「あのとき起きたことの意味」が
分かるときが訪れると。

そんなプロセスの中にいてくれた、自分からすれば悪役を担って
くれた相手に、感謝すらする日が訪れるかもしれないと。

そう信頼してみてください。

母なる宇宙は、そのような私(たち)のいびつなプロセスを、
気長に、あたたかに、見守ってくれていることも信頼してみてください。

きぬびさんも、娘さんも、彼氏も、私たちもみな、
人生の学徒なのですね。

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Young beautiful woman in poppy flowers

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【Q】母に会いたくない…

突然、母に会うのが苦しくなりました。

私は、ずっと、母親から、愛されて、
幸せだと思っていました。

ただ、いつからかわからないのですが、
母親に、違和感を感じるようになりました。

40代前半に、母親に会う前日に、
初めての、なんとも言えない苦しさに襲われ、
体調不良と言って短時間で帰りました。

たまたま、通院していた病院の先生に
なぜか、この話をしてしまい、
相談にのっていただきました。

すると、一気に限界がきたのか、
あふれ出したのか、情緒不安定になり、
家族に暴言を吐いたり、集中力がなくなったり・・・
など、家族に迷惑をかけました。

しかし、見守ってもらえ、今は、
自分の生活は、ほとんど、大丈夫になりました。

しかし、実家の母親とは、それ以来、
距離をとったままです。
電話の声だけで、自分が正常心を失ってしまいます。
会うのが、話すのが、とても怖く、ずっと逃げています。

でも、どこかで、親不孝のまま、終わってしまっていいのか
とも思いますが、どうしても、1歩が踏み出せません。
とにかく、怖いのです。

こんな気持ちで、ずっと、ぐらぐらしています。
どうしたいのか、どう整理したいのか、わかりません。

【40代 女性 匿名希望様】

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FROM 川畑のぶこ

40代はホルモンの大きな変化などもあり、
身体的にも精神的にも不安定になりやすい時期です。

怒りやすい、イライラする、憂鬱になったりくよくよ
したりするといった症状は更年期障害の可能性もあり、
婦人科など受診し、適切な治療を行うことで、
改善するケースも多くあります。

辛いようでしたら、一度受診されることをお勧めします。

このような変化の時期は、今まではなんとかがんばって
抱え込んでこれたものが、抱えきれなくなり、
一気にせきを切ったように溢れ出てしまうこともあるでしょう。

匿名さんも、母娘の関係に関して、これまで表面上
うまくやってきてはいたけれど、心の奥底の微細なレベル
で感じていた何か、抑圧してきた何かが、
この機に浮上してきたのかもしれませんね。

親とある程度距離を取ることを「親不孝」と思う人も多い
ですが、必ずしもそうではありません。
適度な距離感があった方が親子関係含め、人間関係や
社会生活が円滑にいくこともあるのです。

これまで親子が(物理面のみならず精神面も含めて)
近すぎた場合には、違和感があって当然で、
特に青年期に反抗期がなかったような
いわゆる「いい子」などは、30-40代になって、
無骨な親離れをするケースも少なくありません。

たとえそれが少々いびつなかたちで現れたとしても、
必要なプロセスが起きているということを
信頼してみてください。

私たちにはみな巣立ちが必要です。
物理的にだけではなく、精神的な巣立ちが必要です。

今この時期は、遅い巣立ちの時期かもしれないと受け止めて、
あまりご自身を責めることなく、周囲のサポートに感謝
しながら前進されてみてはいかがでしょうか。

自分自身に優しくなることが、結果的にお母様や周囲に
対しても優しさをもって接することに繋がることと思います。

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【Q】介護をしたくありません

両親、特に母親が好きになれず、今後もし、介護が
必要になっても正直面倒みたくありません。
心の持ちようを教えて下さい。

既婚、子供無しの40代の公務員です。
私は一人っ子だったせいもあり、子供の頃は親の干渉
が強く、何かにつけ危ないからあれやっちゃダメ、
お金がかかるからこれもダメと、やることなすこと
ケチつけられ、厳しく育てられました。

そのせいで、小さい頃は何の楽しい思い出もなく、
無気力、無感動な人間になりました。

本当は大学に行きたかったのに短大にしとけと言われ、
その後の就職も親の勧め通り公務員になりましたが、
ちっとも楽しくありませんでした。

30代後半の時に東京に転勤になり、親からも離れられて、
こちらで結婚もしやっと自由を手に入れられた気分です。

世の中、短大も行けない人もいて、行かせて貰っただけ
でもありがたいと思わなきゃいけないのかもしれませんし、
ちゃんとした仕事につけていいじゃないと人から言われる
事も多いですが、正直幸福感は全く無かったです。

最近になって、転職しようと資格取得の為に勉強したりと、
やっと少し充実感が持てるようになってきたところです。

でも気になるのは今後の両親とのかかわり方です。
冒頭のように思うのは薄情でしょうか?

【40代 ケリー様】

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【A】FROM 川畑のぶこ

辛い子ども時代だったのですね。
親の過干渉や価値観の押し付けで、自分の本当にしたい
ことが出来なかった。そのことで親に恨みの念を持っており、
その感情を解消できないままでいる。

もしそのままで、無理に親の介護をしたなら、親子関係は
悪化するばかりで健全な状態をもたらすことはないでしょうね。
福祉施設に委ねるというのもオプションとなるかもしれません。

ただし、現時点では親の介護に関しては白黒はっきりさせる
ことはせず、いったん横に置いておいてみてください。

今、ぜひケリーさんに集中していただきたいのは、
親によって満たすことができなかった大切な己のニーズを、
親から解放され、大人になった今、自分自身が充分に
満たしてあげるということです。

親のニーズより、自分のニーズに集中してみる時期
というふうにとらえてみてください。

それは、自分がしたい仕事をしたり、過去にできなかった
勉強を今から始めるということでもあるでしょう。

転職や資格取得に向けて勉強されるのはとても良いことだ
と思いますし、恐らくそのような動機で励まれて
いらっしゃることと思います。

ただし、気をつけていただきたいのは資格などは
「取るべき」とプレッシャーを感じながら取ろうと
しているのか、それをも「取りたい!」と胸の高鳴りを
感じながら取ろうとしているのかを
じっくり振り返ってみてください。

前者であれば、ケリーさんの場合は考え直すことを
おすすめします。「べき」で判断する時というのは、
純粋に自分を満たすことよりも、世間や他人を軸に
判断していることが想定されるからです。

これでは公務員の仕事を選んだ時と同じ状況に陥ること
になるでしょうし、ケリーさんの人生の大切な課題から
目を背けることにもなってしまいます。
真に大切なニーズが満たされることは無いでしょう。

ぜひ、「したい」と思うことをしてみてください。
人生に始めるのに遅いことはありません。
肉体的な生命ではなく、意識や魂のレベルでみたなら、
私たちはまだひよこかもしれません。そうであれば、
これからがスタートで成長率は無限大です。

お母様も同様で、全知全能の神ではありませんから、
共に学びの過程と思えば良いでしょう。
時として、年齢は親の方が上でも、精神的な、あるいは
魂の発達は子どもの方が上ということもあります。

私たちの恨みの感情は、そのせいで取り返しがつかなく
なった場合に強く生じます。

まだまだ取り返しがつくし、むしろそんな経験があった
からこそ、それがバネとなって人生経験や学びが深まった
ということに気づくことだってあるかもしれません。

そうであれば、恨みの念はいつの間にか消えることでしょう。
時として反面教師をしてくれた親に感謝すらするかもしれません。

まずは親が自分に出来なかったことを自分がしてあげる。
自己充足してから、さらに、親が実際に介護が必要になったら、
そのときの一呼吸おいた自分に
判断を委ねてみてはいかがでしょうか。

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【Q】母親と彼との間で板ばさみになっています

現在の彼とは付き合って1年。
年齢的なこともあり、将来を考えている関係です。
大学から自宅を出て、遠方で一人暮らしをしているため
付き合い始めの頃に彼と一緒に帰省しすぐにではないが、
将来を考えていることを伝えました。

両親は会ってはくれたものの、その後、母親が私の自宅
へ来て猛反対。
「もっとふさわしい相手がいるはず。自信をもちなさい。」
「なんなら、相手のご両親にもあって別れるように
 たのみます。」

なんとか相手の親に会うことは断ったものの、膠着状態
になってしまいました。

彼にも事実を伝えましたが、彼は
「たぶんお母さんとは肌が会わないような気がする」
「(私の)人生なんだし、もう進むしかないんじゃないの?」
といわれました。

結婚となれば大きなことだし、両親には諸手をあげて賛成
しなくても納得はしてほしい、と願っています。

ようは、私の気持ちひとつのような気もするのですが、
もともと両親にはあまり反抗したことが無く、
帰省したときもついついいい娘をしてしまいます。

こんな気持ちのままではなかなか帰れず、
5月の連休も、お盆も帰省は仕事を理由に断りました。

母は、「娘にも捨てられた。」と電話口で冗談交じりに
口撃してきます。

正直、毎週かかる留守電にもうんざり。
あんまりでないので、父の携帯からかけてくることもあります。

なんとか、うまくいく方法はないものでしょうか。

【30代 匿名希望】

―――――――――――――――――
【A】FROM 川畑のぶこ

人生を共にしたい相手と、親の希望の相手が合わない。
親に反抗はしたくないけれど、相手を失いたくない。
なんとかうまくいく方法はないものか。

ここで問題なのは、はたして「うまくいく」ということが
いったい何を意味するのか、ということです。

現状を維持しつつも、
親を喜ばせ、
己を喜ばせ、
彼を喜ばせる

ということなのであれば、
残念ながら、難しいと言わざるを得ません。

私たちの人生は、ときとして
「何かを選ぶために、何かを手放す」という試練を与えます。

大切なものを選び抜くために生じる心理的な葛藤に
目を背けることなくきちんと向かい合って、それぞれの課題
を乗り越えることができたなら、それは私たち一人一人が
より豊かに成長していくことにつながります。

そしてそれを「うまくいく」という意味にとることができた
のなら、よりしなやかで、地に足をつけた人生を送ることが
できるのではないでしょうか。

お母さんも、ご自身も、彼も全てが思い通りにはいかないけれど
なんとなかるし、そこから学べる
そんな『信頼に根ざした手放し』ができたのなら、
より楽に人生を生きることができるのではないでしょうか。

「いい娘」を演じる者の課題。
「娘に『も』捨てられた」…皆から捨てられる被害妄想を持つ
者の課題。
合わせることで必要とされ、応えてもらうことで愛を確認する、
共依存者たちの課題。
相手の親子ドラマに巻き込まれる者の課題。

それぞれが、さまざまな課題に向き合いながら一歩ずつ前進する、
それを受け容れる潔さと覚悟が必要とされるのでしょう。

「自信を持つ」ということは、お母さんが意味したであろう、
「皆(親)から好かれる人を選ぶに相応しい人間だ」という
ことにとどまりません。

親がどう言おうが、彼がどう言おうが、
自分が選んだ人生を歩み抜くということも、自信を持つことです。

お母さん自身も
「親から見てOKな娘が、親から見てOKな男性と結婚する」ことで、
自分のように苦労することなくOKな人生を送ることを見届ける…
そのことで、OKな母親でいようとすることを手放す必要が
あるのかもしれません。

「娘が誰と結婚しても、たとえ苦労をしても娘なりに人生を
切り開いていける」という母としての自信を持つ必要が
あるのかもしれません。

また、ご自身が親の言葉に揺らぐのは単に、反抗することに
慣れていないからだけでしょうか?

どこかで、親の抱く相手への心配事を、自分も心のどこかで
感じているからではないでしょうか?

それを否定する自信が無いから、親に大丈夫と納得してもらう
ことで、自分も自信を持とうとしてはいないでしょうか?

親の価値をどこかで採用していることで自分が苦しんでいるのなら、
今後もその価値を採用するか否かもういちど振り返ってみては
どうでしょうか。

自分にとって真に大切なものは何でしょう?
それを選び抜くためには、苦労を厭わない覚悟はありますか?
それとも、保証がなければ人生は機能しないでしょうか?

色々なことが起こる人生、何が起こっても、屈することなく
対処する。その潔さと覚悟を身につけることを意識することから
はじめてみてください。

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【Q】50代でも自分を好きに

いつも断捨離メルマガを拝見しております。
理屈では分かるのですが、なかなか。
自分の思いを手放したいのにどんよりしてしまいます。

今、一番重い気持ちになるのは、他人軸である私。
それなりに友達もいるし、明るいし、活動的なほうですが…
友達が多い人、思いやりのある人、自然と人が集まるような人、
自分軸の人を見るとそれだけですごく引け目を感じ、
憂鬱になります。

比べない、自分を好きになる、許すということは理解して
いるんですがそれがなかなかうまくいかない。

その理由が、自分と深く向きあって、自分の継母との関係
が大きな原因かなと思うようになりました。

母は我が強く、きつく私に当たり、他人と比べ、
愛情はほとんど感じませんでした。
母は、完璧に家事をこなし、洋裁もでき、センスもあり、
家もいつもすばらしく整っていました。

私が小学5年のときに我が家に来た母と、24歳で結婚するまで、
気を遣い、顔色を見ながら暮らし、私がこんなんだから好かれ
ないんだ、自分に落ち度があるんだ、と思って過ごしてきました。

父にはそんなことは言えずに、一人で自分が、もっとさっぱり
とした性格で、しっかりしてる人間になりますようにと
毎日お祈りしていました。

大人になるとそれなりに表面上はうまく付き合っていました。

父が亡くなるときに一緒に在宅介護で看取り、その時初めて
母は私を認めてくれました。
あんたのおかげで最後まで大変なこともあったけど、
介護できたと。。。

父が亡くなってしばらくすると、元の気丈な母に戻り、
80代でリューマチでも離れて一人で暮ししています。

父は亡くなったんだから、もう義理は果たしたから
もういいでしょう、と言われてまた落ち込んだのですが
それでも全部をそのまま受け入れようと思い、
私が今あるのは、お母さんのおかげだ、お母さんのしたいよう
にしてくれていいから、困ったときはいつでも言ってね。
たまにこうやって電話するけどいいかな。と伝えました。

それから電話口の母は楽しそうに話してくれるので、
この状態でいいと思っていましたが
私の今まで、なにかもやもやしているもの、自信がないことや、
必要以上に、人に気に入られないことを恐れること、
自分のせいにしてしまうこと、表面的に頑張って本心に
向きあわないことなど、母との関係が大きいのではないか
と思うようになりました。

小さいときの自分を抱きしめるとか、好きになるとか、
いろいろやってみてもすっきりしません。

こういうことも断捨離で克服できますか?

50代になっても、好きな自分になりたい、
こころを自由にしたいと思いメールしました。
よろしくお願いします。

【50代 女性 自由業 C.C様】

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【A】FROM 川畑のぶこ

人は愛に満たされ、愛に傷つくものですね。
子どもとしての私たちにとって、
母親の愛は生存に関わるものです。

自分はちゃんと愛されているか、愛に値する人間か、
その疑いを晴らす為に、私達は色々な試みをするのだと思います。
また、その確証が得られるまで苦しみは続くのだと思います。

C.Cさんは、あるがままの自分では母は私を認めてくれないし、
愛してくれなかったという思いに縛られてしまって苦しかった
(あるいは今も苦しい)というのが文章から伝わりました。

自分は母のように完璧でないし、しっかりもしていない、
母も私にきつくあたり、他人と比べる、またそもそも
血も繋がっていないなどと言う理由から、
「愛してくれているわけがない」というような思いが
生じたのかもしれませんね。

断捨離とは観念の入れ替えですが、C.Cさんにはぜひ
これらの考え方を入れ替える努力をしていただきたいと思います。

文章を読みながら私がイメージしたのは、C.Cさんと同様に、
あるいはC.Cさん以上に、お母さんもまた

「自分は母失格ではないか?」
「妻失格ではないか?」
「ちゃんと子どもを育てられているか?」
「遜色なく家庭を切り盛りできているか?」

と他者と自分を比較しながら必死になっている姿です。

比較にはご主人の前妻(C.Cさんの生みのお母様)
も含まれているのかもしれません。

お母さんもまた愛を確かめたかったし、自分の価値を疑いながら、
必死にOKな自分になろうと努力しているのではないでしょうか。
だから「全て完璧にやらねばいけない」と頑張っていたのでは
ないでしょうか。

完璧主義の人物というのは、ストレス下に陥ると、他人に対して
優しくなるのは難しいものです。これも、自分軸でなく、世間の
評価を気にする他人軸の傾向です。

そうであれば、お母様はC.Cさんを愛していなかったのではなく、
さまざまなプレッシャーから、健全に愛や優しさを表現するゆとりが
なかったのかもしれません。

本当は我が子に甘えたくても、自分を母として自ら選んだわけではない。
自分と夫との男女の関係で、行きがかり上、自分が母親になった娘に
「迷惑をかけてはいけない」とか「お荷物になってはいけない」
「甘えてはいけない」という思いの方が強いということが考えられます。

それは決してC.Cさんを愛していないからではなく、
お母さんなりの一生懸命な、そして不器用な、愛の表現だと思うのです。
実際は、「母は私が愛して欲しいように愛してくれなかったけれど、
母なりに愛している」のではないでしょうか。

そうであれば、その思いを大切にしながらお母さんと向き合って
みてください。面と向かって伝えることが難しければ、
思いを筆にしたためてみるのも良いかもしれません。

そう、もうすぐ母の日ですからね。

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【Q】実母との軋轢

実母との関係に悩んでいます。
母は70台後半で、ひとり暮らしですが、
家の中は完璧に片付けられており整然としています。

それが母の自慢です。
いつでも誰でも呼べる家です。

幼い頃から男女で育て方に差をつける人でした。
兄は2浪の末、大学院まで進学を許し、
わたしは県外の4年制大学を希望しましたが、
結局、地元の短大しか許されませんでした。

兄には学生の頃から留学を許し、車を買い与え
という感じでしたが、わたしは成人式の振り袖を
借りることもしませんでした。

生き生きと自分のつきたい職業で活躍する兄が
うらやましいです。

私は母の近くで母の雑用をこなす係。
正月にもお盆にも帰省しない兄を、
母はまるで憧れの人のように話します。

雑用係で便利な娘の私は結婚して家庭に入りましたが、
家の中は雑然として、ごちゃごちゃです。

そんな私をなにをやってもダメ娘、と言って
母は掃除をしたがります。何度拒否しても無断で
自宅までやってきて、一人で黙々と掃除をして、
母の好みの家にして帰ります。

先日とうとう大喧嘩をしてしまい、私は
お願いだから帰ってほしいと何度も懇願しましたが、
聞き入れられず、
とうとう実の親の頭からお水をかけて追い返しました。

それから罪の意識でよく眠れません。
母からは連日私を責める電話がきます。

これからどうしたらいいのか、わかりません。

【40代 女性 専業主婦 匿名希望】

――――――――――――――――――――
FROM 川畑のぶこ
A:
母は我が子から必要とされる(=散らかった家を片づける)
ことで己の価値を見出したい。

娘は母に愛されたいけれども、母の好みの通りでなくても
(=たとえ部屋が散らかっていても)そのままで愛してくれる、
価値ある存在であることを確認したい。

そんな母と娘の愛争奪戦を垣間見る気がします。

私たちは、互いに過度の依存関係に陥ることなく、己を愛し、
自立することが大切であり自らの発達に必要なことです。

その重要な自立が阻まれると本質的に不快感を得るものです。

今回の出来事は、子どものころに適切に反抗できなかった娘
と親の間に、ようやく母子分離が行われ始めようとしている
サインだと思います。

これは健全なことです。

人間は自己愛や自立など、真に大切なニーズ(心理的欲求)が
意識的かつ肯定的に満たされない場合、
そのニーズを取り下げるのではなく、無意識的にかつ否定的に
なってまでも満たそうとします。

自分で自分を愛することが出来なければ、
誰かから―多くの場合身近な人間から―愛されることで
そのニーズを満たそうとします。

お母様は時代的な背景も手伝ってのことと思いますが、
「女性とはかくあるべき」あるいは、「男性とはかくあるべき」
という価値観を大事に守ることで幸せになれると信じていたと
思います。

私たちは社会的な動物ですから、そのことで社会的バランスが
保たれることもあったのでしょう。そのことで、人からも
認められ、そのことで自己称賛もできるはずだった。

ところが、人生のいたずらとも言いましょうか、時代のずれが
生じたため、それがままならなかった。

新しい時代の価値観に適応できる人もいれば困難な人もいる。
残念ながらお母様には適応が難しかった。

せっかくこんなに頑張ってきたのに…
まさか自分の努力は必要はなかったとは言わせないと、
否を認めたくないので、相手をコントロールしてまでも
認めてもらいたかったのでしょう。

無論、必ずしも彼女に否があったわけではなく、過去の時代には
正しい姿勢であり、必要な価値観でもあったのでしょう。

子どもはそんな親の苦悩や心理ドラマは知らないので、
無条件で自分を受け入れてくれない親を怨み責める。

この問題は、どちらの価値観が正しくどちらが悪いと裁く話
ではなく、違う価値観を持たざるを得ない、違う時代に生まれた
人間の間にずれが生じたという事実を、第三者の目を持って、
冷静に認識することから取り組む必要があるかと思います。

違う国に生まれたので違う価値観を持たざるを得なかったのと
一緒ですね。日本では「いいこいいこ」と親が子どもの頭を
なでることが褒める行為であるけれども、異国においては
不敬にあたるというような差ではないでしょうか。

お母様は不器用な彼女なりのベストを尽くしたのだと思います。
これらを理解し、踏まえた上で、互いの摺合せをしたいのか
したくないのかという次のステップに入ります。

無論、彼女のベストだったからと言って、現在の姿勢の全てを
受け入れるというのは母と娘両者の自立を阻むことになります
から不健全です。

血のつながった親子であっても、適度な距離感というものは
必要です。
その距離は時と場合によっても変化するものでしょう。
適切な距離があることで、相手に敬意を払えたり、
愛情が湧いてきたりすることも多いのです。

今は相手を理解しつつも、「親離れ・子離れ」を意識して
心理的な巣立ちをしてみてください。

今この時点においては、毎日かかってくる電話に応える必要も
ないでしょう。

不器用な巣立ち方であることも、「いたし方ないこと」と
受け入れてみてください。

好みのかたちではないにせよ、互いにとって必要なプロセスが
起きていることを信頼して、まずはご自身が親への
コントロールを手放してみてください。

親が思い通りにならなくても、あなたは愛に値する存在で、
唯一無二の個性をそなえた魅力的で価値ある存在なのですから。
自分に最も近いご自身がそれを受け入れてあげてください。

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