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Q:母(私の家から徒歩数分の実家で父と二人暮らし)に対して
報われない気持ちを抱えています。

四人兄弟の三番目で良い子で当たり前という中で育ってきました。

母に対して自分の気持ちをわかって欲しくて、
大人になってから気持ちをぶつけたこともありましたが
都度否定され叱られて終わっています。

日々年老いて行く母との残りの時間を良い関係にしたいと、
最近、無理をしない程度に実家に両親の様子を見に帰るようにして、
お互いが穏やかにやって行ければいいと考えてその様にしていました。

父母は高齢で持病を抱えながらも
私達子供には極力頼らず、なんとか二人で生活しています。

実家では母がモノを溜め込み、モノで溢れている家の有り様に、
実際困ることも多く、父がすぐにイライラして怒りだすということが
何十年も前から続いています。

私や姉も片付けて欲しいと何度か言いましたが
聞き入れてもらえることはなく逆に怒られてしまいます。

子供達が実家を出て家が広くなるとますますモノで溢れ
改善される様子はありません。

少しでも長く実家で父母が気持ち良く暮らせるように、
家を片付けようと家族で話し合い、母もその時は同意するのですが、
母のモノに対する執着がすごくて、
片付けが進まないと言うより出来ないという状態です。

母に満たされなさのようなものがあってモノに執着しているのではとも
思うのですが、どうして良いのかわかりません。

仮にそういうものを抱えているとして、父との関係もあるかも知れないし、
母の長い人生でそうなってしまうことがあったのかもしれません。

母とは気持ちとか本心とか心の話をしても通じないと感じることが多く、
実際私の気持ち等を聴いて貰えたことはありません。

そんな私だからか、母の気持ちを聴こうとしてもうまくいきません。

実際、母は長年に渡ってめまい、高血圧、耳鳴り、浮遊感などに悩まされており、
私なりにその関係性について話し、一度家をスッキリさせれば頭の中も
スッキリするし、父もその事で怒らなくなるし、楽になると思うよと何度か話し、
母もそうかなあと興味を示すのですが、執着が勝って行動に移すことはありません。

自分にできることとして、実家に帰った際は母の話し相手になって
話の腰を折ったり否定したりしないよう気をつけています。

そんな中、何とか母と良い関係を続けられるかもと思っていたのですが
母の言葉に傷つくことが続き、

「〇〇(私)が義母を引きとらなかったから○○さん(私の夫)がこんな事になったんやわ
(夫が職場のトラブルから抑鬱状態になり休職した時)」

「〇〇(私)にだまされてるんやわ(私の知人に依頼した実家の修繕工事の
値段に対して母が父に言った言葉)」

平気で私を傷つける発言をする母に対して穏やかな気持ちを持てるはずもなく、
母は軽い気持ちで言ったのだと思うのですが、
それに対して、ここに来て、そのくらいで傷ついてしまうのかと
自分の弱さを痛感しつつも傷ついてしまう自分がいます。

悲しくて、情けない気持ち、そして少し腹もたちます。

どうしたら気持ちが収まるのか、どうしたら母と良い関係でいられるのか
などアドバイスよろしくお願いします。

【ベス・56歳・パート】

――――――――――――――

A:

FROM 川畑のぶこ

ベスさんのメッセージには、お母様の健康やより良い日々に対する憂慮と、
お母様から得たい承認や愛情という課題があると思います。

まず、お母様の健康や豊かな人生のためのサポートに関しては、
年老いて気力や体力も衰えている親と対峙する時は、その脆さを理解して、
優しさや思いやりが大切になることは言うまでもありませんが、
同時にサポートする側が執着を手放す姿勢も大切になってくると思います。

ベスさんやご家族は、部屋が片づかない限り、母の人生は機能しない、と
思われていることと思います。

もちろん、お母様がすっきりした空間で健やかに過ごせたに越したことは
ありませんが、何が何でもという姿勢は、
ベスさんとお母様の関係性を膠着させてしまう危険があります。

人間は命や健康より考え方に執着するといわれています。

お母様には命や健康を犠牲にしてでもモノを持っていたい無意識な理由が
あるかもしれませんし、いろいろな言い訳があるかもしれません。

まず、そのことに対して、怒りから批判的に接するのではなく、
不器用でいびつな、それでも母ながらの現時点での最善の対処法なのだなと、
深い理解をしてあげることが大事になると思います。

深い理解とは、表面的に波風を立てないようにするということとは全く異なります。

表面的に波風を立てないように自分の心を抑圧していると、
やがて感情が爆発することでしょう。
「私はこんなに無理して自分を抑えてガンバっているのに!」と。

ですので、できるだけ平穏を保つのではなく、相手がそうならざるをえなかった
理由や動機を理解する努力をしてみてください。

もしかしたら、お母さんは(も)「誰も私をわかってくれない」と、周囲からの意見に
耳を傾けないことによって、無意識な抵抗を示しているのかもしれません。

「たとえ部屋が片づかなくたって、たとえモノが多くったって、
私のことを受け入れてよ!」という叫びがあるのかもしれません。

自分が正しくあるために、周囲の意見を取り入れてはいけないと
恐れているのかもしれません。

その恐れを理解できたなら、お母様もベスさんも楽になれるのではないでしょうか。

「お母さんも私と一緒なんだ。認めてもらいたいんだ。自分が正しいって、
価値がある人間だって確かめたいんだ。私と一緒で愛されたいんだ。
それが不器用でいびつなかたちで表現されているのだ。」と。

お母様がベスさんに対してとる態度〜母親が子どもを服従させようとする態度
は、恐れから来ています。

それは子どもが愛される価値がないからではなく、母親自身が価値ある母親、
正しい母親であることを認めさせようとする心理から来ていることが多いのです。

すなわち、お母様は自分が本当に正しいのか、価値があるのか、愛に値するのか
を疑っているということです。
周囲が自分を受け入れることによって、その疑いを晴らそうとしているということです。
そして、そのことに無自覚です。

親子の関係において、親は子どもほどに愛情を必要とせず、
愛が必要なのは常に子どもであって親ではないと思われがちですが、
決してそんなことはありません。

お母様の方が、ベスさん以上に、承認欲求や愛情欲求が強い可能性だって
十分にあるのです。それが、モノとの関係に現れている可能性もあるのです。

「モノを捨てなさい」という周囲の姿勢は、お母様にとって
「あなたの価値は不要だから捨てなさい」と聞こえている可能性があります。

モノはモノのようでいてモノではないということを深く理解してみてください。

私が、溜め込み性の母親に断捨離を伝える時は
決して「捨てろ」というメッセージは伝えませんでした。
むしろ、捨てない母を全面的に肯定し、受け入れていました。

「仕方ないよ。飢餓も体験して、モノが乏しくて、苦しい時代を生きてきたんだから。
さぞトラウマ的な出来事だったでしょう。捨てるなんて心が引き裂かれるような
思いでしょう。そうなのに、無理して捨てる必要なんてないよ。
別にモノが溢れていたって、それなりに幸せに生きていけるでしょうから」

と、徹底的に母の現状を受け入れる状態でした。

これは無理にそうしたのではなく、本当にそうだったろうなと、理解したからです。
自分が様々なものを手放してみて、
また、母の溜め込んできたモノを眺めてみて、その苦しみを理解したからです。

もちろん、その苦しみを体験してまでも不要なものを手放すことの価値は
理解していましたから、希望は持ち続けていました。

そのために、自分の体験をひたすらシェアし、最後に、

「あくまでもこれは私個人の経験であって、お母さんにはお母さんの
価値観があるだろうから、それを大事にすることが良いと思うよ。
無理に捨てない方がいいよ」

と付け加えることを忘れませんでした。

この根底には、希望を持ちつつも執着を手放す姿勢がありました。

人それぞれに人生のプロセスがあり、母には母に必要なプロセスがある。

それは私のエゴを満たすかたちや私のエゴを満たすタイミングで行われる
とは限らないけれども、必要なかたちやタイミングで、時として、
私にとって不都合で嫌いなやり方で行われることがあると、信頼していました。

また、今世で成し遂げられなかった課題は来世に持ち越されるだろうという、
執着を手放すための死生観も大切にしていました。

ですので、母が断捨離を進めて楽に人生を過ごせたに越したことはないし
そのための努力はする(説得ではありません)けれども、たとえ、
思い通りの結果が出なくても私の人生も母の人生も、それなりに機能する。
という姿勢でした。

最初は私が断捨離のシェアをするたびに興味を持ちつつも、緊張感が走る母
でしたが、徐々に「この子は本当に私が捨てようが捨てまいが、
私のことをOKだと思っているな。(私の価値を受け入れてくれているな)」と
理解したのでしょう。

このようなやりとりの中で、閉ざしていた心を徐々に開くようになってきました。
そしてある日、断捨離を始めたのです。

私自身、私の言うことを母が聞くことによって、
己の承認欲求や愛情欲求を満たす道具に使わないよう気をつけました。

そのために、私自身、母親が私の思い通りになろうがなるまいが、
私は価値がある存在で愛に値するということを理解し、
それに伴った行動をするよう努力していました。

モノがあろうがあるまいが、母が幸せを感じながら生きるために
どのように関わることができるか、
そのために、私が大切にするもの、あるいは捨てるべきものは何か
ということを問い直し続けました。

捨てるのが難しいのは、モノではなく考え方です。

ぜひ、ベスさんもこれらのことを参考にしていただければと思います。

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