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Q:優先席に座って、携帯ゲームに興じたり、
おしゃべりしたり寝たりして、周囲にその席を必要としている人
がいることに無関心な方々に、苛立ちを感じます。

今、2歳の子がおりますが、妊娠中に通勤していたときも、
平然と座っている人達を見て、苛立っていました。

現在はベビーカーで電車を利用しますが、
ベビーカー優先マークの貼ってある通路にも、
ゲームやおしゃべりの人達が陣取っていることに苛立ちます。

混んでいるときは、通路の真ん中にいると、
乗降りする方の邪魔になるので、隅にいたいけれど、
隅にはもたれてゲームをしている方々が。

足を手術し杖を使っている母と一緒に乗車したときは、
躊躇している場合ではなかったので、

「すみませんが、どなたか母に席を代わって下さい」
と声をかけたら、快く代わってくれる方がおりました。

そのように、ストレートに言うことが良いのだろうと思いますが、
自分や、見知らぬ方のためには、そういうことを言う勇気が
ありませんし、毎回そんなことをするのは疲れるように思います。

悠然と座っているこの方々は、もしかしたら心臓疾患など、
一見そうは見えないけど優先されるべき方々なのかもしれない、
と考えてみたりもしますが、
現実的でないその考えは、自分を納得させるに至りません。

かくして、電車に乗るたびに、苛立ち、そのイライラを気づけ!と
ばかりに、ジッと見たりにじり寄ったりしている私ですが、
大変建設的でないことに、心を消耗しているなぁという自覚があります。

どのような心持ちで、電車に乗っておればよいのでしょうか。

【はな・40歳・主婦】

―――――――――――――――――

A:

FROM 川畑のぶこ

はなさんの誠実さと正義感が伝わって来るご相談内容です。

私たちは、「~べき」であるという思いが強いときに、
そして、その通りにならない時に怒りを感じます。

おそらく、はなさんの中には
意識的であれ、無意識的であれ、

「相手がそれを伝えなくても、
 誰が妊娠していて、
 誰が体調が悪くて、
 誰が怪我をしているか、
 席に着いたからには、
 常に自分の周囲に注意を払って
 率先して気づき、
 席を譲るべきである」

という思いがあり、その思いの強さが怒りにつながっているのでは
ないかと推測されます。

もちろん、そのように皆が率先して動ける社会なら、問題も起きず、
理想的でしょうし、いわゆる正論なのだと思います。

ところが、理想は必ずしも現実に即しているとは限りません。
また、人がみな正論に従って生きるというわけでもありません。

ここで、なぜ、「席を譲りましょう」という啓発をわざわざしなければ
いけないか、という根本的な問題について
考えてみるのも良いと思います。

これは、人間は基本的に、皆、「楽」をしたい存在であるということ。

特に、自分が疲れている時や考え事をしている時などは、
人のことを構うゆとりがなく、私と周囲とどちらがより「楽」を
”必要”とするか、ということに対して注意がいかなくなり、
自己充電を優先することがあります。

私たちは、友達と楽しい時間を過ごしたいという欲求がありますし、
もちろんその権利を持っています。

ところが、時として、楽しさのあまり、
周囲が見えなくなってしまうことがあるのも事実です。

そうあるべきでない、と頭でわかっていても、
なかなか常にそういうわけにはいかない。

残念ながら、これは人間の性質でしょう。

この性質を否定するのではなく、理解して、認めているからこそ
啓発の意義があるのではないでしょうか。

当然のことであれば、啓発する必要もありません。

たとえば、病院の待合室には、
「患者さんに席を譲りましょう」という啓発はありません。
これは、当然のことと皆が受け止めているためでしょう。

ところが、電車やバスなど公共の交通機関などは、
一見、階段を上ったり降りたり、電車の乗り降りができるなど、
日常に支障のない人が多くおり、病気であっても、見るからに
病気の人でない限り、また、座っている本人が率先して
周囲に注意を払っていないと気づきにくい場面も多くなります。

私は日頃、がん患者さんのカウンセリングを行っていますが、
カウンセリングに訪れることができるような患者さんは
抗がん剤の副作用が辛くても、見た目にはわからない程度の人
が多いです。

毛髪がなければ周囲も気づくかもしれませんが、
最近は、ウィッグも技術が進み、
一見健康な人と判別のつかない患者さんが多いです。

公共の交通機関では、座りたくても座りにくく、
座っていても、周囲からは元気そうに見えるので、
他の人に譲らないといけない気がするとおっしゃる人たちもいます。

こればかりは、本人が声を出さない限り、
周りにはわかりようのないことです。

ですので、全員が率先して気づくに越したことはないけれど、
前提を、「放っておくと気づきにくいものなのだ」と変えてみると、
都度、頭に来ることもなくなるかもしれません。

「理想通りに全員が行動したに越したことはないけれど、
 必ずしも全員が理想通りに生きるわけではない。
 たとえ理想通りでなくても、その都度対応して、
 場を機能させることはできる」

と、自分とは全く異なる背景を持っているであろう、
それぞれの心理的・社会的・知性的・身体的な限界を受け入れながら
対応していくのはしなやかな姿勢ではないかと思います。

そして、「言わなくてもわかるべき」という姿勢を
「言いさえすればわかる」と切り替えることも大切かもしれません。

皆、楽をしたいですし、面倒な作業はしたくないですが、
世の中や社会をよりよく変えたいと思うときは、時には
自ら率先して行動を起こす必要があります。

はなさんも、思いやりを啓発する一員として、
困っている人がいるのに気がつかない人がいる、と気づいた時は、
どうか率先して周囲にそのことを伝え、
席を譲ることを促してみてはいかがでしょうか。

これは、座っている人が率先して気づくことと、
同じ取り組みなのかもしれません。

そんなはなさんを見た周囲の人が、
「私も次はそうしよう」と行動するかもしれません。

そんな思いやりの輪が、はなさんの知らないところで
少しずつ広がっていくかもしれません。

そうなれば素敵なことですね。

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