Frisch gekochtes Kompott aus Aprikosen mit Vanille, Zimt, u.a. Gewrzen

FROM 川畑のぶこ

「幸せに生きるにはどうしたらいいんですか?」

こんな漠然とした質問をたびたび受ける。
もし、この質問に一言で答えられる人がいるなら
私のほうが教えてもらいたい。

幸せの感じ方は人それぞれ。
人とのつながりに喜びを感じる人もいれば、
自然とのつながりに幸福を見いだす人もいるよう。

何かを達成したことで充足感を得ることもあれば、
人の役に立てたときに生き甲斐を見つけることもあるだろう。

美味しいものを食したり美しいものを目にしたときに、
あぁ、生きててよかった!と細胞レベルでいのちに感謝するかもしれない。

幸せに生きるには… そのためには某かの条件が整ったら―
たとえば
お金持ちになったらとか
欲しい物が手に入ったらとか
好きな人と一緒になれたらとか
某かの条件が整ったのなら得られるものと思っている人も多いよう。

されど人間とはまこと欲深く、ついこの間まであれほど切望していたのに、
ひとたびそれが手に入ったのなら、喜びもつかの間、
すぐにまた足りないものに目が向き、それらが手に入らない不幸を罵り、
幸せになれないと感じたりするもの。

恋人さえいれば…
結婚さえすれば…
子どもさえいれば…
もう1人子ども産めれば…
こんなに産みさえしなければ…

何度となく臨床で耳にしたこれらの言葉。

それらの条件を求めている限り、幸せとはまるで影踏みのように
たどり着いたと思ったとたんに足下からスルリと逃げ去るよう。

幸せとは「何かを手に入れる」結果訪れるものではなく、
その瞬間その瞬間、目の前に展開されていることに幸せを感じること
のできる力のことをいうのだと、つくづく思う。

一定の条件を全て持ち備えている人ではなく、
どのような条件下でも、そこにそれなりの気づきや感動をもって、
前進する力に転化することが出来る人こそ、真の幸せな人ではないかと。

幸せのレセプタを磨くとでも言おうか、開発するとでも言おうか。

そのためにはまずそのことを意識することがキモかと、
今この瞬間、身の回りに起こっていることで、喜ばしいことやありがたいこと
を意識してみることからはじめてみると良いのでは、と伝えることにしている。

そして、それも難しいというのであれば、
もうひとつ、己に究極の質問をしてみる。

「もし今日が人生最後の日だったら?」と…

チベット仏教の僧侶たちは、
混乱したら「今日死ぬ」ことをイメージするのだそう。

死の瞑想を行うことで、
いったい今の自分にとって何が真に大切なのか、
人生のプライオリティーが明確になって頭の中が澄んでくるのだそうだ。

実はこれ、私自身も日々パクリで実践しているアプローチ。

壁にぶつかったり、判断に迷ったりしたときは、
「もし今日死ぬなら、あんたはどうするの?」と己に問うことにしている。

すると明瞭な答えが、おなかの底あたりから自然と湧いてくる。

死を意識するというのは、生を意識することに他ならない。

生を輝かせたいと思うなら、人生に限りのあることを知り
一瞬一瞬、目の前に展開されている奇跡に注意を払ってみてほしい。

全てに感動するのは無理にせよ、はっとする瞬間があるはず。

人生なかなか捨てたもんじゃない…
そう思えたなら、それは十分幸せなことではないでしょうか。

PS
★ チベット仏教僧侶・ダライラマ法王主治医
Dr. バリー・カーズィン来日イベントのご案内★
(川畑のぶこもプロジェクトチームの一員です)

【1】11月3日(火・祝)10:00-17:00[1-DAY]
ハートシェアリングフォーラム
『共に病に臨みいのちの大切さを知る私たち』にて
Dr.カーズィン講演「死と向かい合い・生と向かい合う術」
※どなたでもご参加いただけます。
詳細・お申込み ⇒ 【 http://peatix.com/event/113683 】

【2】11月7〜8日(土日)[2-DAY]
『幸せの処方箋』慈悲を養う瞑想研修会
※どなたでもご参加いただけます。
詳細・お申込み ⇒ 【 http://peatix.com/event/113762 】

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