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FROM 川畑のぶこ

2024年
あけましておめでとうございます。

皆さんは新しい年をどのように
お迎えになりましたか。

今日は、新年にふさわしい一冊の本をご紹介して、
新年のご挨拶に代えさせていただきたいと思います。

私には、困難に直面したりモヤモヤしたりした時に、
いつも手に取って心を落ち着かせている、
バイブルのような本が何冊かあります。

その中でも、私がいつも勇気づけられている
『心の扉を開く』という本をご紹介します。

著者のアイリーン・キャディさんという方は、
スコットランドのフィンドホーンという
スピリチュアルなコミュニティをご夫婦で創った方です。

彼女自らが内なる英知や神からのガイダンスを
受け取るようになったことから、
そのメッセージを本にして人々に届けるようになったとのこと。
今では世界20ヵ国以上で翻訳され、ベストセラーとなっています。

私は時々、この本を開いて
その日にぴったりのメッセージを見つけ、
その言葉によって心を癒されたり、
気づきが得られたりしています。

今日は1月1日なので、その部分のメッセージを
ご紹介させていただきますね。

続きは、ビデオでお話しします……

 

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こんにちは。川畑のぶこです。

今日は、どんぐりさん(42歳・主婦)からのご相談にお答えします。

~~~~~~~~~~~
義母(85才)が孫を強要します。
結婚6年目。夫はもう60才、私は42才。
夫は子育てするお金がなく、私は育てる体力がない統合失調症。
初めから作らない同士の結婚で、夫側の避妊手術もしています。

義母はそれを知らなくて、会うたびに、卵子を若返らせると書いて
あるルイボスティーをくれたり、子孫繁栄の数の子を出してきたり、
夫婦での旅行を勧めてきたりします。

以前は、義母の友達(60代)と3人でいた際
「うちは孫がいないからー」と言って私をにらみつけるので、
お友達が焦って、私の方を一切見ずに頷き続けていました。

法事の席でも親戚一同の前で「うちは孫がいないからー!」と叫んだり、
「日本舞踊を習わせるから長男を!」「孫のことを人に訊かれたから
『今作っているところ!』と答えておいた」などと言ったりします。

「どんぐりちゃん(私のこと)はそんな人生でいいの~?」と言ったり、
「こればかりはしょうがない」と引いてみたり。「息子が年だけど、
どんぐりちゃんは子供ほしかったでしょ?」と言うので、
「私もわがままなので、年上の人としか合わないんです」と返したら、
苦虫を噛み潰したような顔をしていました。

年代的なこともあるのでしょうが、姑というのは、息子を持つと、
嫁にはこんな感じになるものなのでしょうか? 
もう義母は施設に入っているので、会うことも少なくなりましたが、
いろいろ思うことをハガキで言ってしまいたい思いにも駆られます。
~~~~~~~~~~~

姑さんに会うたび「子どもを」と言われるのは、とても辛いですね。
似たような状況の方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

どんぐりさんが、義理のお母様との関係性を「どうしたいか」、
ご自身の素直な気持ちを訊いてみるのはいいことだと思います。

実は子どもはできないのだということを、今まで伝えることができな
かった何らかの理由やお気持ちが、どんぐりさんにあることでしょう。

今後については、もし、お母様様のご生存中に本当のことを伝えたい
という気持ちが強かったり、またお母様のどんぐりさんへの責めが、
頻度は減ったにせよ、依然あるのであれば、やんわりと事実を伝える
のもよいかもしれませんね。

が、同時に、もう85歳で施設にも入っていらっしゃるとのこと。
会う頻度も少なくなったら、これはこれでいいかなと思えるのであれば、
それも一つではないかと思います。

お母様は、どんぐりさんとはジェネレーションが全然違いますし、価値観
も違います。当時は、子どもを持つことが幸せ、特に女性としての幸せの
象徴のように思われていたような時代でもありますから、お母様はあくまでも、
どんぐりさんに幸せになってほしい、自分も幸せになりたい、あるいは、
自分のお友達に孫がいることがうらやましい、劣等感を感じたくないという
ような思いから、孫を持ちたいと思っているのかもしれません。

それはお母様の価値観として尊重したらよいですが、だからと言って、
どんぐりさんがそれに応える必要はないわけです。お母様の意図は、
どんぐりさんに幸せになってほしい、その形として子どもを、ということで
あって、嫌がらせをしようと思っているわけではないということを、
どんぐりさんの中で区別されていくと、少し楽になるかもしれません。

続きは、ビデオでお話しします……

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160720_FB_kawabata

Q:はじめまして。
いつも川畑先生のアドバイスを参考にさせて頂いております。

早速なのですが、
人と接するときの自分の心の中の変動に悩んでおります。

もともと人付き合いは得意ではありません。

社会人になってから、2年ほどで鬱病になった経験もあります。
今は結婚をして、一児の母です。
薬は四年ほど飲まずに過ごせるようにはなっています。

病気の時や、快復期を思えば、
いくらかマシになってきてるように感じるものの、
未だ、どのように人と接すれば良いのか悩むときがあります。

川畑先生のメルマガやおのころ心平さんの人付き合いレッスンなども
勉強しておりますが、すぐに心が乱れてしまいます。

特に色々考え方を変えてみる努力をしたり、行動認知療法をしてみたり
(すこしですが)とやってみるのですが、
人と会う、という場面になると緊張しますし、色々考えてしまいます。

アドバイスなどを活かして自分なりに楽な考え方をして、
一時とても良い感じ(オープンな感じの)コミュニケーションを出来るのですが、
次の日には心がガチガチ、というか変な感じになってしまいます…
(今は主にママ友関係でしょうか…)

見た目には冷静を装っていますが、
心の中は「変だと思われてるんだろうなぁ」とか「好かれて無いんだろうなぁ」とか
楽しそうに話している他のママさんが気になっています…。

心の調子が良いとあまり、気にならないのですが…。

そんな浮き沈みのある自分に辟易している部分もあります。
どうして私はこうなんだろう、と。

こんな私に何かしらアドバイスを頂けるとありがたいです。

1人で調べて考えて実践する事に疲れてしまいました…。
どうすれば良いのでしょう…。

こんな母親で、子供に悪影響があるんじゃないか、という事も気になっております…
人付き合いの苦手な子になるんじゃないかと…

長々と申し訳ありません、よろしくお願いいたします。

【アオ・32歳・主婦】

――――――――――――

A:

FROM 川畑のぶこ

周囲の人々と調和的に関わり合いたいという、
誠実で真面目なアオさんの姿勢が伺われます。

これまでもさまざまな努力を重ねられているということで、
そんなご自身の真摯さを褒めてあげてください。

対人関係は人生の最も大きな課題といえると思います。

しなやかに対人交流ができるか否かは
その人の人生の質に大きな影響を与えますね。

多くの人が誤解をしやすいのは、
「多くの人と交流し、抵抗なく相手と話ができる人」が、
対人交流が得意な人と思っていることです。

対人交流は交流する人の数や会話量が多ければ良い、
あるいは卒なく会話をまとめられれば良いというものではありません。

関わりあう者のニーズ(心理的欲求)が満たされているかどうかがキモです。

沢山の人と卒なく、さほど意味を求めず会話をすることが好きな人もいれば、
少人数の分かり合える友と言葉数少なく関わりあうことで互いのニーズが
満たされる関係もあります。

それらの関係性に優劣はつけられず、どちらもOKです。

まず、ご自身はどのような関係に満たされるのか、
これは周囲の作り上げた価値観からではなく、
アオさんの内面から湧き上がってくる声に忠実に耳を傾けてみてください。

周囲の人々との輪に入りたいと思われるのであれば、
「私は話し下手で、ノリが悪いように見られがちなのだけれども、
人の輪の中にいることが大好きなので、ぜひお声がけしてください」
というメッセージを、周囲の人々に率直に伝えてみることをおすすめします。

相手は必ずしもアオさんに器用な会話を求めているとは限りません。

ただ、アオさんが関心の無いことには巻き込もうとは思わないでしょうし、
関わり合いたいのか否かがはっきりすれば、輪の中に招きやすくなることと思います。

不器用なままでかまわないので、
ご自身のそんな意思を伝えてみてはいかがでしょうか。

たとえ輪の中にいるアオさんが静かでも、
「静かに輪の中にいたい人」として認識されるでしょうから、
互いに変な緊張感を持たずにすむでしょう。

これは個性であり、周囲が個性を理解する智慧を身につける過程でもあります。

同じ関心を持つ者同士が、互いを思いやりながら集う。

そのエネルギーだけでも十分価値があり、意味ある対人交流です。

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160615_FB_kawabata

Q:
いつも拝読、拝聴しながら、自分のことのように感じたり、
納得することが多々あり、大いに参考にさせて頂いています。

さて、私の悩みは、自分で自分を認められない、
人から認めてもらうことを期待して行動していることです。

楽しい人たちと会っても、その帰り道や家に戻って一人になると、
言いたかったことが一杯でてきます。その場にいる人たちに合わせよう
とする気持ちが無意識に働いているのだと思います。
本当の自分を出すことが怖いのだとも思います。

過去に鬱になったことがあり、カウンセリングで良くなったのですが、
子供の頃から何か問題が生じた時、
とっさに自分が間違っているのだと反応する習慣がついています。

自分には価値がないように感じていたり、
自己否定や自己嫌悪が抜けていないのだと思います。

自分のことを考え、見つめる時間は長く持ってきたので、
もう自分のことにこだわり過ぎず、人と関わることを心から楽しめるように
なりたいですし、自分の信じる道をどんどん進んで行きたいのですが、
心がグラグラ揺らぐとそれどころではなくなります。

どのようにしたらよいか、アドバイスをお願いいたします。

【あお・40代・自営業】

―――――――――――――――――

A:
FROM 川畑のぶこ

いつもメルマガを参考にしてくださりありがとうございます。

自分自身に価値がないような気がして自己否定や自己嫌悪に陥ってしまう…
私たちは自分で自分を認めることができないと、
他人から認めてもらうことで自分の価値を見出そうとしてしまいがちですね。

もちろん、社会的動物である私たちですから、
周囲の人の評価はある程度参考にしながら自分探しをすることは大切ではありますが、
全ての価値判断を他人の評価に委ねてしまうと、
苦しみに溢れる人生になってしまうかと思います。

なぜなら、人はその人の都合や好みで相手を評価するからです。
必ずしも真のあおさんを評価しているわけではないのです。

おそらく、あおさんはお母様の顔色を伺う幼少期であったのではないでしょうか。
親も私たちと同じ人間、ゆとりがなかったり、ストレス下にさらされていると、
どうしてもエゴがニョキニョキと芽を出して、
周囲をコントロールすることで己を満たそうとしてしまいます。
子どもは格好のターゲットになるのですね。

「私の思い通りになることで私を満たしなさい」
「さもなくば、私は自分の価値を信じられないのよ!」
と、そんな苦しいメッセージが根底にあることと思います。

親が喜ばなかったのは、あおさんがダメだったからではありません。
親自身が自分自身を疑っていることが問題だったのです。

大人となった今、あおさんはそのことを理解できるはずですから、
もういい子になることで相手を喜ばせたり、
自分の価値を測ることはしなくても大丈夫だと言い聞かせてあげてください。

あおさんの心の中にいる、幼い頃のあおさんに、
「あなたは悪くないよ」
「あなたのままでいいんだよ」と、
「親にしてきたように他人に接する必要はないんだよ」と、
優しく、小さなあおさんを包み込んであげてください。

そして「これからは子ども心を取り戻して思いっきり楽しんでいいんだよ!」と、
あおさんの中に眠っている遊び心を呼び覚まして、
その感覚に従って日々を歩んでみてください。

周囲に、あおさんが「この人のようになれたら人生楽しいだろうなぁ」と思う人がいれば、
その人をモデルにしてみて、自由に楽しく日々を過ごす自分をイメージしながら
そのように振舞ってみることも良いと思います。

応援しています!

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160608_FB_kawabata

Q:1989年から永住しているオーストリアから、日本の母に、
母の日の贈り物をしました。

母は大変難しい性質で、素直でなく、物事を必ず屈折して受け取るため、
私も弟も亡き祖母も そして亡き父も、皆彼女に振り回されてきました。

ご近所からも愛想を尽かされ、2013年には母方の親戚からさえも
「縁を切らせてもらう」という手紙が、オーストリアの私の手元に届きました。

その母は、79歳まで東京/日本橋で仕事をしていて、
私の心配心から(母には年金がありません)、また退職後の休養も含め、
私と愛夫がオーストリアへ母を呼び寄せ、経済的全面援助をしながら同居
して2年半過ごしました。現在母は82歳です。

ところが、幼少(3歳)から ピアノ教育を母より厳しく受けていた私は、
母から逃亡すべく日本を飛び出して24年経った「自立」した生活を
またもや母に脅かされ、トラウマとフラッシュバックに魘され、
食物が喉を通らなくなり、自殺未遂をし、勤務していた音大を年間休職し、
辞職するに至りました。

その間、病院・セラピー治療を受けて、母は日本の実家に帰国しました。

母がオーストリア拙宅で滞在していた間、弟の東京のアパートが全焼し、
弟はその後空き家となっていた「ゴミ汚屋敷実家」に戻り、
母の溜めに溜め込んだガラクタを独りでせっせと断捨離してくれました。

ところが ようやく少し息が出来るようになったその実家に、
私の病気のせいで母親が帰還することに… 。

弟は「姉が困っているならば、協力する」という文面で承知してくれました。

そこから半年が経ちましたが、
ゴミガラクタの再発に悩む弟に、私の罪悪感が止みません。

その挙句、母の日に (ほんの少しの親子の印にと) 送った
プリザーブドフラワーのプレゼントを巡り、私と母との間でメール口論に…。

結果、月曜日に私は
「これだけ分かり合えない、(母親が我が子に自分の正当性ばかり主張する) 親子関係
ならば、このままズルズルと引き摺っていても全く意味がないので、これで縁を切りましょう」
(弟にも転送済み)とメールを送りました。

そこから二日が経ちましたが、なんの音沙汰もありません。

私はメールの送信ボタンを押して後、
少しの間 震えが止まらない状態でしたが、今はスッキリしています。

断捨離を毎日のように実行するうちに、
「自分にとって 不要・不適・不快」であるモノ・ヒト・コト の判別を自分に下す (許す)
のに要する時間が、どんどん縮小し、
この母親への (縁を切りましょう という)提案をメールに書いて送るという行動が、
いわば「直感的」に、何かにインスピレーションを得たかのように、即行動に移りました。

これは、異常でしょうか?

以前の私であれば、世間体や、自己非難、自己批判 (こんな娘ではあってはならない)
の類言に悩まされ、一番過去の厭な思い出を象徴する対象物である母親と、
芋ズル式の関係をズルズルと引っ張って引き摺って参りました。

しかし 断捨離行法を通して、まるで目が覚めたように、
悶々としていた病的なココロが 晴れ渡っていくことを肌で実感し、
「母親は、私をこの世に産み落としてくれた、そしてここまで育てあげてくれた。
父親の大反対を受け続けながら、金銭的に苦労しながらも、
私のピアノ教育に莫大なお金をかけ、東京のレッスンに連れて行ってくれた」

という 過去を断捨離し、
その母親も 肉体・個体という視点では【某体】である、という観点に気づきました。

これは、間違った断捨離的行動判断でしょうか?

自分の視点からは、先ずは母親に自分の意思を表明したわけですが、
その母と二人残された弟のことが、心配です。

長文になり、申し訳ありません。よろしくお願いいたします。

【拳禅一如・48 歳・主婦業初心者】

――――――――

A:

FROM 川畑のぶこ

親子関係、とりわけ母と子の関係というのは、人生最大の問題であり課題だと思います。

子は良くも悪くも親の価値観には強く影響を受けますし、
幼少期にされた親からの刷り込みによって、
その後の人生を心理社会的にうまく切り抜けるためのサバイバルフォーミュラ
とも言える方程式を作り上げていきます。

幼少期の子どもにとって親は、全知全能の神のような存在で、
親に愛されるか、認められるかは死活問題となります。

拳禅一如さんも、お母様に認められるために、並ならぬ努力をされたことが伺えます。

お母様との縁を切ることが、正しい断捨離かどうかということに関しては、
断捨離には万人にとっての唯一の正解というものはなく、
それぞれにそれぞれの、またその時々の正解がありますので、
今の拳禅一如さんにとって、それが最善の行動だと納得がいくのであれば、
それも拳禅一如さんとお母様が取り組む課題に必要なプロセスなのでは
ないかと察します。

もちろん、お母様にも言い分はあるでしょうが、
拳禅一如さんがお母様との関係が引き金となって、
トラウマでフラッシュバックに悩まされ、
自殺未遂や辞職もしなければならないくらいの背景があることを考えると、
少なくとも今は適度な距離を置くことは健全であるように見えます。

たとえそれが親子であっても、適度な距離感というのは大切で、
それが保たれているが故に相手に悪感情を持たずにすみ、
良好な関係性が保たれることはあります。

縁を切るというのは究極ですが、
これはこれまで拳禅一如さんが、無理して頑張ってお母様に合わせてきた
心理的抑圧が爆発し、反動で一気に対局に振れたような流れにも見えます。

拳禅一如さんが日頃から罪悪感を抱くことなく、適度な距離感を取れていれば、
回避できた可能性も考えられます。

罪悪感は「家族なのだから常に近くにいてあげなければいけない」とか
「母と離れて暮らしている私は親不孝でダメな子だ」などといった不合理な思い
から湧いてくることでしょうし、その感情に突き動かされて
(過剰に相手に合わせるなどの)行動をとってしまいがちです。

親の都合に全て応えられたに越したことはありませんが、
必ずしも親の全てのニーズを満たさなければダメな子、というわけではありません。

たとえ離れていても、常に母のことを気にかける良い娘だと受け止めてみる
ことも大事だと思います。

また、「私はその時点での私にできる最善を尽くしている」ということも
認めてあげて欲しいと思います。

互いのより良い人生や学びのために、今は心の奥底の声に従って、
距離を置くという選択をするのだ、という信念を持って
前進してみてはいかがでしょうか。

距離をとることで、お母様の良い部分に気づくこともあります。

断捨離の「離」には、離れてみて気づく価値という意味があります。

不器用な私たちには、時として、離れなければわからないものもあるのです。

お母様の拳禅一如さんに対する行動には、立ち上がることは大切だと思います。
ただし、お母様の存在そのものを否定する必要は必ずしもないでしょう。

お母様のしてくださったことで
有難いことは否定せずに素直に有難いこととして受け入れ、
それを差し引いてもあまりある苦しみを乗り越えるために、今は距離をとるのだ
と認めてみてはいかがでしょうか。

縁を切ることで、近すぎて見えなかったお母様の価値に、改めて気づける日が
やがて来るのなら、自分にもお母様にも、違いはあるけれど、どちらもOKなんだと、
心底思える日が来たのなら、
真の意味での断捨離を実践されている証となることと思います。

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160525_FB_kawabata

Q:私は決断するのがすごく苦手で、
決めないといけないのに違うことをしたり後回しにしてしまいます。
そしてとても時間がかかります。

家族には相談したこともあるので事情は知っていますが、
まだ悩んでいるの?? いつまで悩んでいるの??
と思われているように感じてしまいます。

徐々に誰にも今の心境を言わなくなってきて、
一人で決めたいと思うようになりました。
相談するんじゃなかったのかなとも思います。

家族にもこう思うとたまに寂しいときもあります。
でも一人で決断し行動するのはとても勇気がいって
どんどん時間が過ぎていっています。。

決断できないということは何か解決方法があるのでしょうか?
ある人からはカウンセリングに行ってみるのは?と言われましたが
それくらいの状態なのでしょうか?
もしそれが必要なようであったら行ってみようと思います。

自分でもどうしてこんなに不安で時間ばかりが経つのだろう。
と思っているので。。
よろしくお願いいたします。

【ゆき・30代・主婦】

――――――――――――――

A:
FROM 川畑のぶこ

ゆきさんのように、なかなか決断ができずに、
優先順位の高いことであるにもかかわらず、後回しにしたり、
やたらと時間がかかってしまうということは時折あるものです。

重要な課題であればあるほど、慎重になるのは当然のことですから、
安易に決断はせず、じっくり時間をかけたくなるのでしょう。

プレッシャーがかかって「あとでじっくり考えて決めよう」という心理が働き
行動が鈍るのは、ある程度理にかなっていることかと思います。

極めてわかりやすい例を提示するなら、
結婚相手を選ぶときや、就職先を選ぶときなどは、安易には決定せず、
じっくり時間をかけるでしょう。

ただし、一事が万事、なかなか決定できず時間がかかったり
後回しにしたりということが続いているのなら、
これはやはりQOL(人生や生活の質)を低下させてしまうこともありますから、
問題ともなりますね。

対人関係も、ゆきさんは大事なことだからこそ相談したいと思っているでしょうが、
毎回せっかく親身になって相談に乗っているのに、そのことが反映されないと、
相手も自分がゆきさんの役に立っているとは思えず、
無力感や虚無感を感じてしまい、ゆきさんの相談に乗ることに
無意識な抵抗を感じるようになるのかもしれません。
これは残念なスパイラルですね。

時々、相手に「とても参考になった。ありがとう」という言葉かけを
大切にしてみると良いのではないでしょうか。

相手のアドバイスの内容を採用するかどうかはわからないけれど、
少なくとも、自分自身を振り返るのにとても役立ったということが伝われば、
相手も相談に乗る労を厭わないのではないでしょうか。

なかなか決断をできない背景には、
「失敗してはいけない」という恐れがあるかもしれません。
もちろん、失敗しないに越したことはありませんが、
失敗を恐れるあまり、前進できなくなってしまうのなら、
ある程度リスクを背負う覚悟を決めることが大切であり、
ゆきさんの課題になってくるのではないかと思います。

人生に失敗はつきもの。
たとえ、失敗したとしても、そこからまた立ち直れば良いし、
学べることもあると受けとめ直してみてはいかがでしょうか。

失敗は成功のもと。
失敗するたびに賢くなる私なのだと、
肩の力を抜いて未来に向かってみてください。

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160427_FB_kawabata

Q:私は、「頑張るのが嫌い」です。

今時の言葉で言うと「ゲスいなあ」とも思うのですが、
そう思うようになったきっかけが二つあります。

学生時代の受験のとき、私は行きたい学校があり、その学校に行けるのを夢見て、
元々勉強嫌いで苦しかったけれど勉学に勤しみ、成績が上がりました。

しかし、それを母親が「そこまでできるなら、もっと上の学校を目指せる」
と、当初志望していた学校は受験できずに、
別の上の学校を受験する羽目になりました。

必死に抵抗したのですが、受け入れてもらえず、
母の望んだ学校は超進学校で、入学したものの、
最終的には校風や授業についていけずに落ちこぼれてしまいました。

受験勉強で頑張ったことが親を勘違いさせてしまった様ですが、
母はそんな私を「期待外れやったわ」と言い放ちました。

勝手に期待されても困るのですが…でも、期待させたのは自分なんですね。

ちなみに、当初入りたかった学校は、
そこの学校にしかないクラブ活動や学校行事があり、
勉強よりも学校生活を楽しみたくて志望してましたが、

母は「学校は勉強するところ!遊びに行くところじゃない」との事でしたし、
「あの学校に入っていい事がなかった」と言うと
「人のせいにするな」と言われるだけです

二つ目は営業職に就職した時で、
入社当初はなかなか数字が取れず、給料を貰っているのに申し訳がないのと、
やはり上の人から叱責されるので、とにかく数字が取れる努力に勤しんだのですが、
数字が取れる様になれば、今度は
「やればできるじゃないか?だからもっと頑張れるはずだ」とより高いレベルを求められ、
それは私にはキツいので正直に、
「最低限のことはやりますが、それ以上は無理です」と言うと、
「会社はあなたの為にお金を掛けてるのに、あなたは自分勝手で社会人として最低だ!」
とこれまた叱責されました。

結局耐えきれずに1年で退職しましたが、退職するときに「こんな事も頑張れないなんて、
人として情けない」と会社の上司にも親にも言われてしまいました。

頑張らなければ、頑張らないで辛いですが、頑張ったら頑張ったで苦しいです。

「頑張らなきゃ」と思うと、この二つの出来事が頭をかすめてきます。

そのうち頑張ったことが、自分をより苦しめ、周りに迷惑を掛けるのではないかと
思えて仕方がありません。

川畑様、こんな私にアドバイスをお願いします。

【まこと・40代・会社員】

―――――――――――――――――

A:

FROM 川畑のぶこ

人生には努力を必要とするときも忍耐を必要とするときもありますね。

何か大切な目標に向かって頑張ること自体は健全なことであり、
私たちの心に躍動感をもたらしてくれることと思います。

まことさんのお話を伺っている限り、
頑張ることに疲れたというよりは、「人の期待に応えるために頑張る」のに疲れた
ということであるかと思います。

すなわち、頑張ることをやめるというよりは、頑張り方を修正することをお勧めします。

自分が関心の無いことや情熱を捧げられないこと、あるいは意味を見出せないこと
ばかりにエネルギーを費やし続けていると、やがて人間は病んでいきます。

それは「そんなに頑張りなさんな」「無理しなさんな」というサインです。

ところが、自分に喜びをもたらすものや充足感をもたらすものに向かって
頑張っている時というのは、疲れ知らずではないでしょうか。

まことさんも、志望校に入ることを夢見て頑張っていたときの時間の質や心の状態は、
モチベーションの無い進学校や仕事を頑張っているときと比べてみると
まったく異なりませんか?

おそらく、これまで「頑張れ」と言われ続け、それに対して「NO」が言えなかったことが
苦しみをもたらし、「頑張らねば」とご自身を追い込んでしまったために、
「頑張る」ことに対するアレルギー反応が出るようになってしまったのかもしれませんね。

頑張るか頑張らないかを白黒はっきりさせる必要はなく、
どのように頑張るか、すなわち、エネルギーを注ぐ対象、その質、量、頻度を
もう一度精査してみることをお勧めします。

要は、適切に頑張るということですね。

まことさんが自然に喜びを感じたり情熱を注げられる、また、充足感が得られることに
意識を向けると、心のエネルギーが充電されてくるはずです。

すると、多少苦手なことでも難なくクリアできるようになることも考えられます。

ぜひ、周囲の期待に応えるチャレンジよりも、
まことさんの心に応えるチャレンジをされてみてください。

ーーーーーー

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こんにちは。川畑のぶこです。

先週は、息子が喘息で入院して私も泊まり込みという話をしましたが、
その後、無事退院しました。が、ようやく幼稚園へ行けるかと思いきや、発熱。
入院中は私も気合いが入っていたせいか、なんとか元気でしたが、退院後の発熱で、
心身共にガタガタ……と崩れ、ついに私も風邪を引いてしまいました。

スーパー母ちゃんで乗り切ったかと思いましたが、やはり自然というのは
うまくできていて、バランスをとるようになっているものですね。

昨日、子どもの登園後、やっと時間ができましたので、
マッサージの80分コースで揉んでもらいました。
そうしたらかなりすっきりし、鼻のとおりもだいぶよくなりました。

そして、ビデオには映っていませんが、スタッフの山本さんという方がいつも
この収録をしてくれています。その山本さんが、愛の手作りバスソルトを
持ってきてくれました。黒文字と檜と柚子のオイルが入っています。

「黒文字」を知っている人は少ないかもしれませんが、ものすごく上品な香りのする
アロマオイルで、私も最も好きな香りの一つです。その黒文字が入っていたので、
びっくりして、うれしくなりました。今夜はこのお風呂にゆっくり入ろうと思っています。
主人と息子はこの価値が分からないので(笑)、入れないで、
私一人でバスタイムをゆっくり楽しみたいなと思っています。

そんなこんなで今日はちょっと鼻がつまっていて、お聞き苦しいかと思いますが、
どうかご了承ください。

今日は、リラックマ様(30代・パート)という女性から
「公私共に近すぎて息苦しい、義理の両親との距離。」というご相談です。

~~~~~~~~~~~

今、主人の両親と仕事をしています。主人は別の仕事です。
数年続けていますが、だんだんと辞めたくなってきました。

嫁という立場もあり、仕事で不満や疑問が生じても嫌な顔1つせず
(出ているかもしれませんが)頑張ってきました。
両親ともに悪い人ではないのですが、あまりに距離が近くなり過ぎて息苦しい毎日です。
プライベートも仕事も一緒になっている感じでしょうか。

お金をもらっているから、私にも引け目があり何度も辞めようかと思いましたが、
子供も小さく、働きやすさとお給料に負けてズルズルと働いています。
両親もそれに気付いているとは思います。

時間と人にしばられる事に疲れた感じでしょうか。私が甘いのかと思う事もあります。
自分でもこの先どうしらたいいのかわからないです。
他に仕事を探すことさえ両親に悪いなと思ってしまいますし。

穏便に辞めるにはどうしたらいいでしょうか。
それともこのまま親孝行だと思ってがまんしたほうがいいでしょうか。

~~~~~~~~~~~

「いい嫁」をずっとやってこられたのですね。我慢して、嫌な顏せず、一生懸命頑張って
きたのだと思います。まず、それはご自身でも評価なさってくださいね。

そして、リラックマさんの心の声というか、魂の声というか、封じきれないものが
溢れてきてしまっているのかなということがひしひしと伝わってくるご相談内容です。

こんなときは、まず、逆の立場に立って考えてみることが有効かもしれません。

例えば、リラックマさんご自身がご両親の立場だったら。
嫌な顔一つせず、一生懸命働いてくれているお嫁さんが、本当は辛いのにそれを見せない
ように努力している姿。相手を傷つけたくないから、親孝行しなくてはいけないから、と
我慢している姿を見て、どう思うでしょうか。

また、我慢の「割合」を意識してみてください。
世の中、何かかしら嫌なことは必ずつきまといます。我慢することが2〜3割はあるけれども、
いいことも7〜8割はある、というくらいのバランスならば、いいと思うのです。

リラックマさんの場合、時間の経過とともに、おそらくそのバランスがだんだん変わって
きたのではないでしょうか。喜びと苦しみが五分五分になって、そしてそれが今度は逆転して
しまうと、ちょっと苦しくなってきますね。

私たちがストレスを我慢する意義があるとき・ないとき、の見極めも必要です。
我慢した先に、喜びや自分を満たしてくれるものがあるかどうか。

人生の目的は「幸福を体験すること」です。リラックマさんにはその権利があります。
自分にとっての幸せは何かを今一度考え、ご両親はじめ、周囲との関わり方のバランスを
もう一度、見てみることが必要な時期に来ているのではないかなと思います。

「嫌なこと」を自覚するだけでなく、「自分は何がやりたいのか」を自分の心に問い直し、
仕事探しも、ぜひされたらよいと思います。
探していくうちに、ご自身が生き生きと活躍できる場が見つかるかもしれませんし、
やはりご両親の所が恵まれていたと思う結果になるかもしれません。

が、今もし、井の中の蛙になってしまっていると感じているのであれば、勇気を出して、
一度、大海に飛び込んでみていただきたいなと思います。

続きはビデオでお話しします。
https://youtu.be/OL5VLKcYUPU

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――――――――――
Q:他界した弟のモノを処分するのが苦しいです。

片付けの悩みです。

まだ勉強を始めて日が浅いため
どのように片付けたらよいのかわからないモノがあります。

それは、4年前に他界した弟のモノです。

私たち家族は弟が他界したのをきっかけに、
独身だった弟が所有していたマンションに引っ越してきました。

とても綺麗に片付いた部屋でしたが、
洋服などのモノが大変多くまだ綺麗で
私も子どもも着ることができますし処分しかねております。

ブランド物も多かったため、今年になって
少しオークションに出品して処分しましたが、
お金になって返ってきても気分がスッキリしないのです。

大量の洋服もゴミにするのは辛いです。

そのモノたちがなくなってもなにも困らないどころか
家はスッキリするし、弟は心の中にいるのだから問題ないと
自分に言い聞かせても、やっぱり処分しようと思うと苦しいのです。

それらがあることで安心できているのです。

しかし、家の中は弟のモノと
私たち家族のモノで明らかに定員オーバーです。

どのように弟のモノ、自分の心と
折り合いをつけたらよいのでしょうか?

どうかアドバイスをお願いいたします。

【女性・46歳・パート】

―――――――――――――――――――――――――――――

FROM 川畑のぶこ

大切な家族の遺品整理は心が痛むものですね。
モノはモノであってモノでないことの
代表的なシチュエーションだと思います。

遺品に関しては、心の整理が出来ておらず、
故人のモノがあることで残された家族が安心感が得られるのであれば、
それはまだ心が使っているということなので、
無理に捨てる必要は無いでしょう。

「捨てねば」と思えば思うほど、
胸が引き裂かれるような気持ちになるのではないでしょうか。

喪に服する期間というのは人それぞれです。
年老いた親であれば数年であっても、
若くして他界した兄弟などは、4-5年経っても
心理的な喪が明けないこともあるでしょう。

どうか自分自身に厳しくならず、優しくなってください。

傷ついた皮膚をかさぶたが覆うように
しばらくは喪失感に傷ついた心を
弟さんを思い出させてくれるモノたちが覆ってくれているのだと
受け入れてあげてください。

それでも、流石に量が多すぎて日常に支障をきたしているのであれば、
もし、その状況を弟さんが見たなら何と言うか考えてみてください。

遺品を断捨離したいのになかなかはかどらない場合は、
「捨てねば」と、捨てることに焦点を当てるのではなく、
「何を残そうか」と、残すモノを選び抜くことに焦点を当ててみること
をおすすめします。

大量の服があるとのことですが、
服の中でもご自身やご家族が弟さんを身近に感じることができるものも
あれば、弟さんが着たり纏ったりしているところをいちども見たこともなく、
弟さんの存在をさほど近くに感じられないものもあるでしょう。

安心感を得るために、必ずしも大量に、残されたそれら全てのモノを
持っている必要はないのだということを思い出してください。

最も弟さんを感じることができて、安心感が得られるモノ
を選び抜いてみてください。

Glaskugel

断捨離メルマガ読者の方からいただいた、
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【Q】占いの結果をひきずってしまいます

悩みと言えるものではないかもしれません。
どういう風に気持ちを切り替えれば良いのか教えてください。

知人に四柱推命のように星まわりで運勢を見る人がいます。

息子と今付き合ってる彼女の相性や、私の属している仕事のこと。
具体的に言うと
「今付き合ってる彼女との相性は、遊ぶことに関しては良いけど
結婚はどうかしら?」と言った感じです。

統計学が基本になっていると言っていますが…
何かしら悪いことがあったら「ほらねー」ってそこに繋げてしまう。
心では(そんなの100%の確率じゃないでしょ)って思うのですが
一度そういうのを耳にすると
いつまでも心の中に言われた言葉が居座っています。

これはどうやって気持ちの切り替えをすれば良いのでしょうか。

【60代 自営業 匿名希望】

―――――――――――――――――――――――――――――
【A】FROM 川畑のぶこ

それが占いであれ、医学であれ、心理学であれ、
統計やエビデンスは大いに参考にされたらよいと思います。

ただし、それが占いであれ、医学であれ、心理学であれ、
問題は専門家がそれらをどのように取り扱うかということで、
このことに関しては、それぞれの倫理観や生きる姿勢に委ねられますね。

Doing(内容) ではなく
Being(あり方)の領域です。

己の結果のために相手をコントロールしようという動機から
それらを扱っているのであれば、これは少々暴力的です。

ひと呼吸置いて関わり合い方を考え直すのも良いかもしれませんね。

それが慈悲の心から扱われており、相手の言葉や態度に思いやりや敬意を
感じることができるのであれば、耳を傾ける価値はあるのではないでしょうか。

統計もさまざまな学問も、人間が豊かに人生を送るために使うものであって、
使われるものではありません。
自分の人生のための学問であり、学問のための自分ではないのです。

あくまでもご参考まで、占いやタイポロジー(タイプ分析)などを用いて
アドバイスやコミュニケーションをしてきたりする人と関わり合うときに、
川畑が個人的に気をつけている三つのポイントをお伝えしておきます。

まず、相手が伝える内容(たとえば四柱推命)が正しいかどうかではなく、
「それを専門的に扱っている人が、人生を豊かに機能的に生きているか、
魅力的かどうか」を観るようにしています。

相手が生き証人になれているかを観るのです。

このような学問を習熟した結果、性格も人生も私が目指す素敵なものになるのだな、
と思えたのなら、その相手の耳を傾け参考にするようにしています。

二つ目には、ものごとを伝えるときに、あくまでも可能性として伝えているのか、
それとも伝える内容を絶対化しているのかにも注意を向けます。

人生に「絶対」ということは無いので、
自分のアドバイスを絶対化してしまっている人は要注意だと思っています。

自然を相手にするときは、謙虚さが必要です。

これだけ科学技術が進歩し、万という統計が取れているのに、
いまだに明日の天気を100%正確に当てることは出来ないのです。

統計はあくまでも群の話であって、誰か個人の話ではないということを知り、
そのことをふまえた上で、コミュニケーションがされている人は
健全なあり方やコミュニケーションが出来る人として耳を傾けます。

三つ目に、「問題が起きること=悪いこと」としている人の話は
あまり耳を傾けないようにしています。

人生に問題はつきものであり、それが無くなり、全てが思い通りになることを
目指すのは不毛です。
そのようなことをにおわせる相手の場合は要注意リストに入ります。

それよりも、失敗を恐れず前進する勇気や希望を与えるコミュニケーションが出来るか、
たとえ思い通りにならなかったとしても、それらをしなやかに受け入れて淡々と対処し、
前進するあり方や智慧を提示出来る人であるかどうかを気をつけています。

ご参考になったでしょうか?

私がここで提示したアプローチ含め、与えられているさまざまな情報は活用しつつも、
いちばん大切なのは、自分の心の声に耳を傾けてみることであることをどうか忘れずに。