Mother and daughter

断捨離メルマガ読者の方からいただいた、
川畑のぶこへの相談をあなたにシェアします。
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Q:92歳の買い物依存症のご婦人

いつも楽しみにしております。
回答の中に普遍的な生きる姿勢を教えられ、気づかされています。

92才のご婦人のマンションに、家政婦に月に1〜2回出向いています。
ケアマネージャーさんから買い物依存性と聞き、とにかく物で溢れています。

20年位前に最愛のご主人を突如亡くし、子供もなく寂しいと言っていました。
2DKの一部屋は物で埋まり、入れません。

ご主人の背広など、高くて新しいとタンスに入れたままです。
布団が一枚ひいたままで、回りは衣類などでいっぱいです。

ご本人は執着とわかっているけど、物に囲まれて死にたいと言います。
戦争を体験したからもったいないと捨てられないといいます。

奥さんに出会い3〜4年になります。
本人次第で私は何も言う資格はないのですが、
物からご婦人が解放されるお手伝いをしたいのですが、
なにかよい言葉がけなどがないでしょうか?

自分を棚にあげての質問ですが、よろしくお願い致します。

【56歳 家政婦 ソン様】

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A:

FROM 川畑のぶこ

ソンさんのご婦人への思いやりが伝わってきます。
相手の苦しみを取り除いてあげたい。より楽に生きてもらいたい。
慈悲の精神ですね。

ソンさんのケースを読みながら、
私と母のケースに重なることが多いと感じましたので、シェアさせていただき、
そこから何かを学び取っていただけたら嬉しいと思います。

私の母は昭和9年生まれの80代です。
私が断捨離を実践し始めた頃、母も私と同様の溜め込み性でした。
溜め込みが遺伝するなら、それは確実に母の遺伝だと確信していたものです。

母の場合、収納の技術が高く、モノはそれなりに整頓されているのですが、
なにせ量がスペースのキャパを圧倒的に上回っているので、
全然部屋は片づいておらず、いわゆるゴミが堆積しているわけではありませんが、
人様の目に触れない「開かずの間」などは一見ゴミ屋敷の体をなしていました。

ある日、溜め込み性共同体である娘の私が断捨離に目覚め、
自宅のガラクタをどんどん捨て始めたのには、母も大きな衝撃を受けたようです。

自分自身の人生の課題とも重なるため、興味津々、
けれども明治・大正の祖父母から受け継ぐモッタイナイ精神は
断じて手放すまいと、私と断捨離に対して警戒もしていました。

断捨離の話を聞きたがるものの、
私がひとしきり話して「手伝おうか?」などとオファーしようもんなら、
「いいえ、大丈夫!」ときっぱりさらりとかわしました。
私は母の防衛をひしひしと感じたので、
そこは不可侵条約で踏み込まないよう気をつけました。

モノはものであってモノではない。
これは断捨離を通じて私自身深く気づきを得たことです。
母にとってモノを手放すということは、とりもなおさず彼女の人生や思い出、
また価値観そのものを捨てるということでした。

なので、「お母さんの部屋のモノ捨てようか?」という私の提案は、
「あなたの価値観や人生の思い出はとっておく必要なんてないよ」と
聞こえてしまうのです。

もちろん娘の私は母を否定したり攻撃したいから断捨離を勧めているわけでは
ありません。全てはケアの精神からの提案です。
ケアとは敬意と愛情を持って接するということです。

私はそのつもりでいても、母がそう受け止めなければ意味はありませんから、
母がケアされている、すなわち娘は私に敬意と愛情を持って接してくれていると
感じられるにはどうしたらよいかという視点からアプローチをしました。

モノが減るにはどうしたら良いかではなく、
母は私にとって大切な人だから苦しみから解放され、楽になってもらいたい
ということが伝わる関係性やコミュニケーションというのはどのようなものであるか?
ということを大事にしました。

母は私に断捨離の話を尋ね、私がそれに応えてシェアするたびに
「でもね、私の場合はこういう障壁があって、
それが解消されてもああいう障壁があって…」と、
不可能を訴えるお馴染の言い訳を延々繰り返していました。

私は説得したい気持ちがふとよぎるものの、
じっくりと母の立場になってさまざまなことを理解するよう努めました。
結果、母の価値観は母にしかわからないという姿勢を大切に、共感に徹しました。

「そりゃそうだよね、大変だよね。」
「お母さんたちの時代はトラウマなまでに
モノが足りなくて苦しんだんだから当然の反応だよ」
「無理する必要は無いよ」
「心を切り裂いてまで捨てる必要なんてないよ」
「別に部屋にモノが溢れていたって生きていけるしね」
「思い出の価値はお母さんにしかわからないのだから大切にしたら良いよ」
と、徹底的に母よりの姿勢、彼女の今の状態を全肯定しました。

もちろん、母は母の価値観で、私は私の価値観で生きる、
それで人生回る。という姿勢を貫きました。

母は、娘がそれまでと違い「相手の生き方や価値観を変えようとする」執着
をも手放したのを感じたのでしょう。

清々しくもおおらかになっていく娘に乗り遅れてはなるまいと
母が断捨離を始めました。

これまで父や妹が何度も説得を試みても、
さらには、いちどは彼らが全て外に出したガラクタも、
全て翌日には家の中に戻っているという状態であった母でしたから、
母が死ぬまでは家の片づけは無理だと家族みんなが諦めていました。

山が動くとはまさにこのことでした。
今、実家はすっきり呼吸空間です。

「開かずの間」は無く、いつでも誰でも通せる状態です。

母の「捨てたくない」という気持ちを真っ向から否定するのではなく、
徹底的にどこからその気持ちがくるのかを深く理解しようと耳を傾けたのなら、
そして母が「自分の気持ちを受け取ってもらえた」と感じたのなら、
そのとき初めて人の心が動くのではないかと感じました。

『寂しさをモノで埋める必要はない』

そう気づかせてくれるのは、厳しさではなく、
思いやりややさしさではないでしょうか。

深いところでみんなつながっているということを感じることができたのなら、
そしてそれがたとえ死んだ人との関係であっても、
見えない心の中でちゃんとつながって
今でも生きていると感じることが出来るのであれば、
たくさんのモノへの執着は無くなっていくのだと思います。

堆積したモノはあくまでも表面的な自己表現。

その内にあるメッセージに耳を傾け、深い理解を示すことが出来たのなら、
相手の寂しさは少しずつ埋まっていくのかもしれません。

もちろん、全てをソンさんが担う必要はなく、
ソンさんはソンさんに出来るパートや役割があると思いますので、
その部分での最善をつくされてみてください。

これからも、ソンさんのご婦人に対する思いやりや愛情を
表現されてみてください。

PS
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毎週月曜の「ココロの学校」メルマガで、
川畑のぶこがお答えします。

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